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メッセージ • Message
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主こそ、私たちの清め
O Lord, we beseech thee to be cleansed
プラチド・イバニェス SJ
Fr. Placido Ibanez S.J.

主よ、私は今、乳離れした子が母親の前にいるように、あなたに祈っています。

自分自身を知り、あなたの恵みによって清められていくことが、祈りの道を進みたいと願う私に、忘れてはいけない一番大事な態度であると、悟らせてください。

キリスト教の歴史に登場する神秘家はすべて、信仰生活における清めの大切さ、清めの体験の重要性を強調します。その一人アビラの聖テレジアの言葉に注目します。祈りにおける清めの体験が必要であることをこう語っています。「清めは、ほかのすべての食物と一緒に食すべきパンです。たとえその料理がどんなにデリケートなものでありましょうとも。 このパンなしにわたしの霊魂は養われることができないでしょう。」(『自伝』13)

彼女は、どれほど深い信仰者であっても、心に清めの大切さを忘れてはならないと言っています。聖テレジアのこのことばは明らかなメッセージです。細かく自分自身の良心を見つめていると言いながら、責めるべきものをあまり見出そうとしない私には、痛いことばです。でも重要なメッセージです。確かに、私は謙遜ではありません。自分の自尊心を傷つけられたくないので、自分を低く見たくないし、低い者と思いたくない・・・・。

私は、ありのままの自分が罪びとであり、限界をもった小さな存在なのだというその現実を、見たくないのです。それが真実であるとしても・・・・。

私は、自分の弱さ、欠点、心の狭さなどは、人間ならだれにでもある自然な失敗だと思いたいのです。

主よ、私は、今日このことを祈ります。わたしが自分の無力さに打ちのめされた時にこそ、主であるあなたが、私の清めを完成させてくださるからです。

2013年 1月23日








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