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メッセージ • Message
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或る往復手紙
An Exchange of letters: between Fr. F and Fr. K.

F神父様

いつの間にか都会の道端に吹かれて溜まる落ち葉にも、感慨一入のものがあります。

確かにそれは、わたしが○君に送ったものです。当時私は、教区の神学生と教役者皆に贈りました。

彼はとてもいい青年でした。他の4人の神学生とともに京都の神学館を卒業し、執事(助祭)に叙任されて1年余りたった時でした。

彼は、神学生時代に医師から仮面性うつ病と言われていましたので、わたしの手元に置き、主教座教会の牧師補の務めにありましたが、ある日、ビルの屋上から飛び降りてなくなってしまいました。

葬送式後しばらくして、かれの育った教会の司祭とともに、彼の自宅を訪ね、笑顔の写真の前に座った途端、私は「○○ちゃんのバカ}と叫び、一瞬こみ上げて来るものを止めることが出来ませんでした。その司祭が、葬送式をしてくれたと思いますが私には記憶が無いのです。わたしは病名を重大に認識できず、彼を、或るラディカルな信徒訓練プログラムに送ってしまったことが直接の原因です。まさに彼の死は、そこから帰った日の真夜中のことでした。

彼は、愛すべき純な魂の人でした。努力家でもありました。わたしは、彼と、彼のご両親と、神様の前になお懺悔し続けている人間です。 つい、余計なことを申し上げました。お許しください。( K )

K司祭様

そうだったのですか。

懺悔の道へと彼はお導きになったのですね。

彼のためにも、今後、アナムネーシスに加えましょう。

丁度、一月前、とても純粋な60台のある観想会の知り合いの司祭が、自死しました。

私は、その会の中でも彼には特に心を開いておりました。東大卒でしたが、謙遜で控えめでしたが、「うつ」を持っておられました。

私は、その彼は慈しみ深い神様に受け入れられていると信じております。

ちなみに、神父になって最初の葬儀が(もう40年前になります)、入水自殺した後輩のためでした。

主任司祭は、自死者の葬儀をしたくないので、私にさせたのですが。

だれも罪に定めることが出来ません。

その人の苦しみや病気を思うと、十字架のイエスの贖罪の深さにかえって驚かされます。

この難しい世の中で、キリスト者も生きるのが難しい時代ですが、 私は「イエスの御名の祈り」と親しむようになって、幸せです。

もし、この祈りを知らなかったら、めちゃめちゃな神父に墜ちているでしょう。

司祭様と心を一つにして、お祈りします。

ありがとうございました。 ( F )

2017/11./20




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