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お知らせ

日本キリスト聖公会は、主なる神の御許にお返しされ、新しく属人区カンタベリーの聖オーガスチン(日本語)会衆として生まれました。

(2015. 2)

Notice

The life of the Nippon Kirisuto Sei Ko Kai has been returned to the hands of the Lord our living God, and reborn as the Ordinariate Community of St. Augustine of Canterbury.

(February, 2015)









近着情報に、山本司祭による、説教 「聖なる空間Sacred Emptinessを超えて」があります。



英国教会は、遂に、女性を主教に聖別することを決議した。
The Church of England has decided to consecrate women Bishops



主教 ラファエル梶原史朗 



英国教会総会は、この7月中旬*、遂に法的に、女性を主教職に聖別することを承認するという歴史的な決議をした。

主教議会:賛成 37、反対2、記録された白票1.

司祭議会:賛成162、反対25、同上白票4、

信徒議会:賛成152、反対45、同上白票5であった。

*7月14日か、16日かを確かめることができなかった。



この法案は18カ月前、すなわち2012年2月の総会では、信徒議会の賛成票が3分の2に不足6票ということで否決されていた。

しかし、それは、賛成できない人たちへの対応の仕方が不十分であるという理由で、本来女性主教賛成論の人も否決に回ったとされている。

逆に言えば、1年8カ月をかけて、女性主教を容認できない人々への法的配慮が何らかの形で確保された結果であろう。

Church Times 紙によれば、議案提出のロチェスターの主教は、他の考えの人々があることは認識しているが、我々は、神の御許で正しいと信ずるところを成すために提出すると説明したという。

5時間の議論ののち、主教、司祭、信徒の3議会は、ひとしく確信をもって賛成の決議した、という。

翌日、議長のヨーク大主教は、議員たちにこの結果を「節度と感受性をもって受け止めるように}と注意したが、このセンタム大主教も、閉会には、聖歌 "We are marching in the light of God 神の光の中を、進み行こう"を先唱して締めくくったというのである。



そもそもこの歴史的決議には、1992年の女性の司祭按手容認という決議から、実に22年という長い年月が必要であった。

一旦、司祭按手をすれば、主教按手は論理的に必然のはずである。

これだけ時間を要したのは、如何にも英国らしい歩みであったと言える、と思う。

そしてそれは、或る意味では、まことにお目出度いことであると言えるかも知れない。

しかし他方、これで英国聖公会は、完全に、ごく普通のプロテスタント教会に、自ら変身することになったのである。

つまり、今までの伝統的な主教理解とは全く違った新しい主教理解へと転回してしまったのである。



この決議を受けてローマ教皇庁当局は、これによってカトリック・聖公会の交流の道が閉ざされてしまうとは考えていないと言明しているが、少なくとも、主教制の故に、第2ヴァチカン公会議に於いては《離れた兄弟たちの中で特別な位置を占める聖公会**》と呼ばれ、教皇パウル6世とラムゼイカンタベリー大主教との間で目指されて来た「目に見える一致」への今日まで営々と続けられてきた努力の積み重ねは、無くなってしまったと言うことが出来るであろう。



**教会憲章第3章13.「・・・・・カトリック的伝承と制度が部分的に存続している教団の中では、英国国教会が特別な位置を占めている」。



そのような英国聖公会の中で、なお信仰的良心に従って女性主教職を認めることのできないごく少数の聖公会員は、どのように信仰生活を続け得るのかという具体的かつ法的な対応は、これからのことであろう。

私は今日まで友人たちに、「わたしは、昔も聖公会(員)、今も聖公会(員)、これから先もずっと聖公会(員)である」と表明して来たが、それは、従来の「聖公会」の意味であって、残念ながら今回新しく作り出された「聖公会」ではない、という他は無いのである。



私たちは、この地上に居るべき場所を失い、去って行く老人のように消えて行くのであろうか。

あるいは、ローマ・カトリック教会の中に、己が魂の休みどころを求めて行くのであろうか。



わたしは、そのような英国聖公会員や、世界の他の聖公会員と共に、なお、祈り続けなければならないと思っている。



(2014・7・26)

復活日への備え Preparation for Easter
二つの誘惑 Two Temptations


主にある兄弟姉妹の皆様

大斉節も半ばを過ぎ、わたしたちは、あと2週間で聖週を迎え、更にそのあと7日を経て復活日を迎えようとしています。皆さまに、主からの恵みと力、慈しみと平安が豊かにありますように。

この4月1日のPortal(web上の月刊誌)に、アングリカン属人区の人々に対するカトリック教理省のミューラー長官の好意に満ちた励ましのメッセージがありました。ミューラー枢機卿は、ベネディクト16世によって立てられた世界のアングリカンOrdinariate(属人区)に,世界の人々が様々な思いの目を注いでいることに触れつつ、今の属人区は二つの誘惑を迎えているのではないかと、示唆しておられます。一つは、カトリック教会の中にすっかり融合埋没してしまう道、それこそが幸せな道とする誘惑、もう一つはカトリック教会の中で、全く孤高を保って孤立してしまう道である、と、しかしこの二つはあってはならない道である、と言われます。

そして、教会憲章Anglicanorumu coetibus の尊い大切な精神に立ち帰り、いつもその目指すところを目指して歩みを進めることが主のみ心であると励ましておられます。

私は思わずハッとしました。それはわたしたち日本キリスト聖公会にとっても、よく当てはまる重要な自摘だったからです。

日本キリスト聖公会は、女性司祭(主教)不容認の理由によって確かに日本聖公会から離された形になっていますが、精神と伝統においては、それ以前の聖公会の信仰伝承を正しく受け継ぎ、それをしっかり証して行こうとする、一種の修道会の様な小さな聖公会です。

属人区への望みが叶わぬ今、その第一の誘惑は、世俗化の波に浸っている聖公会の中へ、ひいては信仰など無くても良いとするこの世俗世界の中へと埋没して行き、その安逸の中で「われは聖公会員なり」と独り言し、それこそがまことの信仰の道であるとする誘惑です。私たちの愛する聖公会は、1992年以前の、そして1998年以前の聖公会なのです。今のままでは、いつの間にか今の世俗社会の波間に溺れてしまことになるのではないでしょうか。

第二の誘惑は、今の聖公会の中で、ひいてはこの世俗世界の中で、全く孤立して自らのみを正統とし、この道をひとり行くことが信仰の道であるとする誘惑です。この埋没と孤立、いずれにしてもこれらは、果たして主キリストがお望みになる道でしょうか。またAnglicanorum coetibus の精神に沿った道であると言えるでしょうか。

主が備えて下さる道、そして「アングリカノールム・チェティブス」が示す道は、「己が十字架を負ってわれに従え」との主のみ言葉に従う道であります。わたしの言い方を致しますと、新しい冒険の道であります。それは、決して単なる冒険主義であってはなりません。恵みによってたまたま聖公会の伝承をその身に負ったままのわたしたちが、その在りのままの自分を主に献げて、それこそ「時が良くても悪くても、励みなさい(テモテ?)」とあるように、主キリストの福音伝道に邁進するということ、そして結果を問わないということ、この一事が私たちの道なのではないのでしょうか。それが、キリストの望まれる一致、Anglicanorum coetibus によってカトリック教会が目指す一致と完成への道、そしてわたしたち日本キリスト聖公会のすすむべき参画の道なのではないでしょうか。言うなれば、教会の原点に帰ることであります。それは、たとえ私たちの数は少なくとも、毎日毎日の人との出会いを丁寧にし、福音の証しを地味であっても一つ一つ積み重ね、日々祈り、聖餐に与り、主を見出して喜び、感謝を捧げて行くことではないでしょうか。

険しいですが、伝道こそ私たちの唯一の道であります。

主は、そのように生きる私たちを、常に恵み、罪を赦し、清め、聖霊をもって導いて下さるお方であります。主のみ名は誉めたたえられよ、であります。

2014年     +ラファエル



聖家族教会の三原カトリック教会への移行:
その写真と司祭の挨拶文は、近着情報What's Newにあります。




説教 キリストのおられる処に、教会はある 2014.2.11
Ubi Christus ibi ecclesia  日本聖公会組織成立記念礼拝
 

横浜海員会館エスカルにて
主教ラファエル梶原史朗

1. 私たちは普段、他の人から、クリスチャンと呼ばれています。英語で言えば、クリスチャンという名称はごく自然ですが、日本では、どうも明治大正以来の、社会から少し浮いたお高いイメージもあって、人々には あまり良い印象を与えて来ませんでした。しかし今日は、説教でもあり何遍か使うことになりますので、また元を正せば、新約聖書の使徒言行録の由緒ある呼び名ですから、クリスチャンという呼び方でお話させて頂きます。

2. 今日、クリスチャンというと、私たちは何を思い浮かべるでしょうか。

私たちはすぐ、今のこの都市化した世界で生活し、週日は別世界で働き、日曜日になると教会に出かけて聖餐に陪り、信徒友達同士親しく交わる、というイメージを持つことと思います。

この場合、忘れてならないことは、私たちは、2000年前からの、初代教会のクリスチャンたち、中世世界のクリスチャンたち、宗教改革時代のクリスチャンたち、そして近代のクリスチャンたちに繋がった、彼らと同じ信仰生活をしているのだ、という事実であります。

3. 新約聖書の時代には、地上のキリスト、また復活のキリストに出合った弟子たちが、伝道しました。

古代社会では、かの旧約の預言者らのように、堕落した世俗社会を逃れて荒野・砂漠に入り、信仰生活を送った人々がいました。彼らは修道士と呼ばれましたが、或る人々はことに社会から隠遁するという意味で隠修者と呼ばれました。

4. キリスト教が公認されてローマ帝国の国教となりますと、都会の心ある青年たちは、砂漠の洞窟や谷間に独りで生活している隠修士や修道士たち(まとめて修道者たち)を訪ね、その生活ぶりと教えに耳を傾けるようになりました。いつの時代でも、青年たちは純粋で一途なところがあります。彼らは、都会に住む、華やかで政治的な主教、司祭たちよりは、独りあるいは数人で砂漠で簡素な生活をしている修道者たち、に惹かれるところが多くありました。

5. この修道者たちは、毎日、祈りと黙想、聖書の学び、それに自給のための農作業や手仕事をしていました。中には、知らない新しい土地へ行き、周りの人々に福音を伝えた人々もおりました。

そのような修道士たちの生活とそのまわりに、主キリストはおられたのであります。これが、ubi Christus ibi ecclesia (ウビ クリストゥス、イビ エクレシア) という信仰の原理でした。 ubi (ウビ) とは、○○の処に という意味です。 ですから、 ubi Christus は、「キリストのおられる処に」 という意味になります。 その次のibi は、前のubi を受けて、「その処に、そこに」という意味です。 ですから、ibi ecclesia は「其処に教会はある」という意味です。そこで全体は、キリストのおられる処、そこにエクレシア・教会はある、という意味になります。

6. 昨年、豊橋でコスビー先生が、エジプトのアレクサンドリア教会から、アイルランドに福音が伝えられた、という示唆に富んだ講義をされましたが、その伝道も修道士たちによって為されたものでした。

イングランドにもケルト教会が伝わりましたが、少し時代が降って6世紀末に、グレゴリウス教皇によってイングランドに派遣されたオーガスチンも修道士でした。

この様にふり返ってみますと、キリスト教は、実際にはすべて、修道士たちの伝道によって世界に伝えられた、と言って決して過言では無かったのであります。これは改めて目を見張るべき事実であります。

彼らの生活ぶりは、見知らぬ人々の間に住み、一日に何度か祈り、主日にミサをし、人びとを教え、相談にあずかるという生活で、それこそが、初代教会以来の、キリストのおられる処、そこに、教会はある という生活だったのであります。

   主は、言われました。 「二人または三人が私の名によって集まるところには、わたしもそこにいる。(マタイ 18:20)」

まさに、この御言葉通りであったのです。わが名によってとはキリストが先に居られるという意味です。

7. ところがそののち、時代と共に教会は、社会や政治の世界で、力を身につけるようになり、制度的にも整えられ、立派になって行きました。そして遂には、「キリスト」と「教会」の順序が逆転した言い方、すなわち、「教会のあるところに、キリストはおられる」とさえ言われるような、逆の姿になって行きました。

人々の生活の中に臨在されるキリストの姿は影を薄くし、壮麗な建物の中におられるキリ

ストの姿が目立つようになって行ったのであります。

8. その様な状況に対して、改革を訴えたのが宗教改革者たちでした。彼らは、教会の宗教的立派さは無くてもよい。キリストは、信仰者の中におられる。一人ひとりのクリスチャンは信仰によって救われる、という真理を再発見するに至ったのであります。

こうして、初代教会以来の、ウビ クリストゥス イビ エクレシア、 キリストがおられる処、そこに教会はある、という本来の姿が、カトリック教会も含めて、キリスト教世界の全体に回復されて行ったのであります。

9. 聖公会は、16世紀以来ずっと、この信仰原理を大切にして来ました。しかも、併せて、教会に備えられた歴史的主教制というものをも大切に保って来ました。さらに特筆すべきことは、主教制を持たない他の諸教会との一致をも願って来ました。

聖公会は、聖書、信経、サクラメント、主教制を、教会の本質的構成要素であると全面的に信じて来ました。 しかし、主教制をもたない教会も、それはキリストの教会であると考えたのです。何故なら、其処にキリストが居られること(ウビ クリストゥス)が明白に認められるからであります。

10. 20世紀前半に始まった世界教会一致運動(WCC)の有力な推進者の一人、カンタベリー大主教ウイリアム・テンプルがそうでした。テンプルは、信頼する若い神学者、後に矢張りカンタベリーの大主教になるマイケル・ラムゼイに手紙を書いています。

「聖書、信経、サクラメント、主教職は、教会の本質的な構成要素であるが、主教制を持たないプロテスタント教会も、なお、キリスト教会である。もし一つの枝が、部分的に切り離されても、それは、枝の命によってなお生きます。それは、失われてしまった結びつきの欠如によって、苦難はするでしょう。でも、その枝は、残された命によってなお生きるでしょう。それ故に、その枝は、なお、樹の一部分なのです。・・・」

11. 以上をまとめますと、キリストのおられる処、そこに教会がある、という初代教会からの信仰に基づき、世界の教会は、主教職というものに支えられて、更なる一致に向けて今も旅を続けているということになるのであります。

12. さて、この度、前教皇ベネディクト16世の発せられた教会憲章「アングリカノールム・チェティブス」に沿った形で、私たちの三原聖家族教会が、一か月ほど前の昨年12月29日に、カトリック三原キリスト教会に受け入れられました。其処にはそれに伴う苦しみと喜びがありました。これは吸収という形ですが、月に一度、聖公会式の聖餐を行うことが出来るという約束です。これは、上述の教会憲章の深い精神に基づいた教会一致への新しい姿です。聖家族教会の兄弟姉妹たちも、キリストの教会の完成に向かって尊い冒険の新しい旅を始めることになったのであります。

13. 先程拝読された福音書の中で、主イエスは、言われました。「父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにして下さい。 彼らも、わたしたちの内にいるようにして下さい。 (ヨハネ17:21) 」

申すまでもなく、ここにキリスト信仰の原点、教会の原点、伝道の原点、があります。

このキリストの切なる祈りの故に、伝道は世界に広がりました。日本における、聖公会、カトリック、正教会、プロテスタントの伝道も皆、キリストのおられる処に教会があるという信仰の原理を生きて来たものであり、今もそれに生きているのであります。

14. さてもう一度繰り返しになりますが、この、キリストのおられる処とは一体何処でしょうか。

それは、わたしたちの日々の生活なのであります。それは、日々キリストと共におり、キリストの言葉が何時も響いている状態の処であります。そこでは、かの修道士たちの生活と同じように、具体的には、朝夕の祈り、また聖餐がささげられ、聖書の御言葉が常に聞かれているような私たちの日々の生活であります。そして、そこが教会であります。

15, わたしたち日本キリスト聖公会も、たとえ周りに同志の数が少なくとも、かの砂漠の修道士たちや、19世紀以来の宣教師たちのように、現代の砂漠とも言われるこの開いた、乾燥し切った大都市砂漠の中で、生活し、伝道を続け、そして時が来れば人知れず死んで行き、己が魂を喜びと感謝をもって御父に献げて行くように召されているのであります。

それが、「われは使徒達よりの唯一の聖なる公会を信ず」という祈?書に養われた公会信仰なのであります。

キリストのおられる処に、教会はある

主イエスのみ名によりて、アーメン。


堅信式説教  洗礼、堅信、そして聖餐
Baptism, Confirmation and Holy Communion

 2013年11月24日、   広島県三原にて

ラファエル梶原史朗

今日は、私たちの存在の源である洗礼、堅信、そして聖餐について、短い時間ですが、少しだけ復習をしたいと思います。

ふり返ってみますと、私たちは毎日、仕事を持っていろいろと働き、勉強をしたり,買い物をしたり、友達と遊んだり、自分の将来の事を考えたり、社会で奉仕の活動をしたり、家庭で看護や介護をしたり、いろいろしてこの社会の中で生活していますが、或る時ふと立ち止まって,さて自分は一体何者なのだろうと考えることがあります。そして、結局は、自分がクリスチャンであるということ以外には、きっと何も残らないのではないか、という事実に気が付くのであります。

実は2000年前に、主イエスに召し出さたれ弟子たちや、使徒となったペテロ、パウロたち、また今日まで続く全てのクリスチャンたちも皆そうでした。

では、私たちは、何時、どのようにしてクリスチャンになったのでしょうか。
或る場合、私たちは悩みを持って聖書を読み、或る場合、たまたま賛美歌に惹かれて教会に足を踏み入れ・・・という様にいろいろです。聖パウロも言っているように、其処には必ず導き手がおりました。導き手の手によって私たちは信仰に導き入れられるのです。そして、私たちが、クリスチャンになるのは、言うまでもなく洗礼を受けた時からです。そして、教会でお話を聞いてゆくうちに既に洗礼を受ける前に、私たちは、天地の造り主であられる父なる神を信じ、また、救い主イエスキリストへの信仰を与えられます。その信仰は、洗礼を受けることによって、公に宣言され、自分は正式に洗礼を受けた人間だという自覚が与えられ、さらに人生の波間で、次第次第に信仰が強められて行くのであります。

もともと、私たち人間は、自らの罪によって、天地の造られる前に与えられていた本来の輝きを失ってしまいました。私たちの罪とは、聖書によりますと、神様を真の神様として仰がないことです。神様を退け、自分の「自我」を絶対化して神の位置に付け、自己本位から抜け出せないでいる姿のことを言います。洗礼を受けた当初は、自分の罪が赦された喜びの実感がありますが、人間はだんだんそれを忘れてしまいます。そのような場合は、他人と自分を比べるのではなく、神御自身と自分自身を比べてみれば、神は何と完全で永遠であられる方、真理であり善なる方であられるのに、自分は何と、至らない、不完全で足りないことだらけの人間なんだろう、ということが悟らされてきます。私たちの罪とは、聖パウロも言うように、「私は、自分の願う善はこれを行わず、願わない悪を行なってしまう。ああ、私は何と悩める人間だろう」という姿です。

人間がいかに罪深いかの実感が薄れたような場合、個人から目を転じて更に、集団としての人間のことを考えてみて下さい。集団となると、人類は、何と無責任になり、自己制御の利かない存在となり、永久に、戦争、他者支配、暴力、略奪をやめようとはしません。モーセの十戒に示された神の御心(戒め)を完全に裏切ってしまう存在であることが悲しいほどよく分かる筈です。

しかし神は、そのような私たち人間を憐れみ、私たちのその罪を赦し、私たちに悔い改めの機会を与え、父なる神に、「天の父なる神様」と呼びかけ、祈ることが出来るようにするために、御子イエス・キリストをお遣わしになったのでした。
主キリストは、私たちと同じ肉体を取り、罪の故のわたしたちの弱さ、悩み、不完全さ、死ぬべき運命を、御自身の身で感じ取って下さる御方となられ、私たちの罪、病、弱さを背負って、いわば私たちの身代りとして、自ら十字架に付かれたのでした。

教会の洗礼は、キリスト御自身がお受けになったヨルダン川での洗礼に倣い、 必ず水を用いて、また更に、「父と子と聖霊の御名によって」という言葉によって捧げられます。それは、そのキリストに結び合わせられ、キリストの命を頂く聖奠(秘跡)なのです。 この水は、其処にちょぼちょぼ溜まっている水ではなく、神が創造された水という物質そのものです。川を流れ、海に湛えられ、蒸発して雲となりまた山に降り、川を流れ、命を生みだし生命を支える水であり、あらゆる物質の汚れを洗い清めて綺麗にする水であります。

神は水を、物質の洗いではなく、霊の洗いのしるしとして用いられました。ですから、海中で洗礼を受けるのも、川や湖の中で洗礼を受けるのも、大きな聖堂や小さな家の中、病室で受けるのも、どこで受けようと、水を用いて神様が授けて下さる洗礼でありますから、どこで受けても全く同じであり、何の違いもないのです。洗礼はすべて、父と子と聖霊なる神が行いたもう洗礼なのです。

そして、初代教会以来、水から上がった受洗者に、使徒、あるいはその後継者(主教)の手がおかれ、聖霊の賜物が注がれることを祈りました。その霊の賜物とは、手を置かれる時の祈り(祈祷書293ページ)にある「知恵と理解の霊」、「深慮と勇気の霊」、「神を知る霊」、「神を愛し敬う霊」であります。

この賜物を一言でいいますと、「神は、私たちに、知恵、理解、深慮、勇気の霊を与えて、ますます神を知り、愛し、敬わせて下さる」 のであります。

洗礼によって私たちは。聖霊という大きな海の中で、神の子として生まれ変わり、堅信によって私たちは聖霊の賜物を内に注がれ、ますます神の子とされてゆきます。

そしてその聖霊は、何が神のみ心であるかを私たちに伝えますし、殊に、キリストの十字架を私たちに証するお方です。それ故に、私たちは、キリストの十字架と復活を証言して行くことになるのであります。

最後の締めくくりとして、聖餐式について一言付け加えます。それは聖餐式とは一体何かという問いであります。

聖餐式とは一体、何でしょうか。
今日、私が特に申し上げたいことは次のことです・。
2000年前、キリストが聖餐を制定された時、ぶどう酒を用いられました。それは、キリストが流された血を表わしましました。

聖餐は、私たちのために血を流されたキリストの自己犠牲、の記念、と言う他はないのであります。

聖餐は、キリストの自己犠牲・セルフ・ギビングの聖奠(秘跡)サクラメントです。

こうして私たちは、聖餐に与る度に、キリストの犠牲に与ります。
そしてこの聖餐に与ることを通して、私たちは、人の束縛からも自由になります。また、自分の束縛からも自由になり、主キリストに対しては、まことの自由とならせて頂けるのであります。
そして、その頂いた自由のゆえに、私たちは、人を愛せるようになるのであります。
教会の洗礼を受け、キリストの命を頂きましょう。



日本キリスト聖公会の現在
The Update Portrait of Nippon Kirisuto Sei Ko Kai

2013年11月15日
主教 ラファエル梶原史朗

主の恵みと平安がありますように。

大島の大雨土石流の惨禍もなお生々しい処へ、フィリピン・レイテ島では強力台風が巻き起こした巨大な高波で、2300人を超える死者が出ていることが報じられています。東日本大震災と福島原発の地震津波による大災害に始まるこの様な「時の徴(しるし)」のうちに、私たちは、一層、今までにも増して、主の平和が、すべての人々の上に及び行くことを祈らずにはいられません。

教会のことを言えば、ヴァチカン教理省のミューラー長官からお返事を頂いたので、日本のカトリック教会との間で、数度にわたって相談をして来ましたが、日本聖公会からの対応もあって、結論としては、1 日本での属人小教区の設立は不可能、2 私のカトリック教会への転会は無理、3 日本キリスト聖公会の司祭の転会は、カトリックの各司教によるものとする、との公式返書を頂きました。カトリック教会としては、幾度か、司教総会を開いて下さった由、その誠意ある回答に私としては、心から感謝しております。

私たちに属する「聖家族教会」という信徒十数名の家の教会は司祭とともに、ことによると、早ければ、今年のうちにカトリック教会に受け入れられるようになるかもしれません、月に一度は、聖公会の聖餐式文を用いて聖餐式を献げることが出来るということです。 そうなれば、喜ばしいことに、私たちはこの兄弟姉妹をカトリック教会に移したことになります。これは、ベネディクト16世がAnglicanorum coetibusのうちに示された教会一致に向かってのヴィジョンの一つの姿ともなり行く試みであり、カトリック教会にとっても私たちにとっても一つの冒険であろうとかんがえております。それは、御恵みであり、また、静かでありつつも大きな喜びでもあります。皆さまもどうか、この、主が為して下さる御業をほめたえ、なおこの人々のためにお祈りください。

そして、なお、日本キリスト聖公会として残る聖職信徒があれば、私はその人々とともに、この日本という土地にこれまで使徒達から伝えられた、また日本における信仰の父祖たちから伝えられた聖公会信仰を保ち、主の導きのまにまに、大いなる聖なる公会の中に生き、歴史の中で静かにしかし最後まで、証をして行く所存でおります。
どうか、その私たちのためにもお祈りください。

皆さまの上に、主の大いなる恵みと、御導きが豊かにありますように。


使徒聖ペテロ・聖パウロ日  説教

     

A Sermon on the thrice enquiries of Jesus Christ to Peter

2013・6・30 豊橋にて

ラファエル梶原史朗

父と、子と、聖霊の御名によりて、アーメン。

主イエス・キリストの弟子で、後に「使徒」と呼ばれるに至った聖ペテロと聖パウロは、紀元67年6月29日、ローマ皇帝ネロが行ったキリスト教徒迫害によって、ローマ市内で殉教の死を遂げました。言い伝えによりますと、ペテロは逆十字架刑によって、パウロは別の場所で斬首によってこの世を去ったということです。私ども聖公会は、この29日を、両使徒の殉教の記念日として守って今日に至っております。 さて今日は、その29日から一日たちましたが、今日の礼拝で、その聖ペテロ・聖パウロ日を守ることに致しました。

シモン・ペテロへの問い掛け

早速、只今拝読されました本日の福音書:聖ヨハネによる福音書の主イエスの御言葉から学びましょう。  「ヨハネの子シモンよ、この人たち以上にわたしを愛しているか。」英語で言えば、「 Simon son of John, do you love me more than these? 」となります。

これは、主イエスが、わざわざペテロと向き合い、ペテロだけに対して言われた言葉でした。 実はこの時、ペテロは他の6人、すなわち、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに二人の弟子たちと一緒でした(聖ヨハネの福音書21章2節)。この6人は多分、皆ペテロと同様、主イエスによって選ばれた使徒だったと考えられます。

しかし主は、彼ら全体に対してではなく、特にペテロだけに対して言われたのでした。「ヨハネの子シモンよ、この人たち以上に私を愛しているか。」

ペテロは答えました、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです。」

主は言われました、「わたしの小羊を飼いなさい。」 しかし主は、さらに2度目にも、同じように言われました、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛しているか。」 そこで、ペテロはもう一度さっきの答えをお答えします。すると、イエスはまた、言われました、「わたしの羊の世話をしなさい」。 そして主は、さらに3度目も「ヨハネの子シモンよ。わたしを愛しているか」と、同じように質問をされるのです。 これにはさすがにペテロも悲しくなり、「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」と答えました。そこには、何か口応えをするような調子さえ含まれていたと考えられます。

このペテロに、主はまた言われます。「わたしの羊を飼いなさい。」

主は、この様に、ペテロに3度も同じ質問をされ、そして、「わたしの羊を飼いなさい」と命令されました。それは何故だったでしょうか。

主は、ただ大事な使命であるから、しつっこく、同じ質問されたのでしょうか。それが、今日の説教の中心点です。

主イエスの意図

さて、その答を見付けるには、ある一つの特別の背景を考えなければなりません。それは、その日から僅か4日前のことでした。主がユダの裏切りによって捕まえられ、尋問のため大祭司の邸宅の中庭へと連れて行かれた時のことです。ペテロも人々の後について行き、何とか中庭に入ることが出来ましたが、その時、門番の女中に怪しまれました。そして、お前もあの人の弟子ではないかと言われたのです。ペテロは「いやちがう」と答えました。

それは過越祭の時期で、エルサレムはまだかなり寒く、人々は中庭で焚き火に当たっており、ペテロも其処に加わっていました。そののち今度は別の人が、お前はあの人の弟子ではないか、と問うたのです。  また、さらにもう一人にも、私はゲッセマネの園でお前を見たぞ、と詰問されてしまうのです。その度にペテロはいや違う、いや違うと、自分がイエスの弟子であることを3度も否定したのでした。そして、やがて夜が明け初める頃になって、鶏の鳴く声が聞こえて来ました。その時ペテロは気づいたのです。その夜の少し前、最後の晩餐のあとに、主が「今夜鶏が無く前にお前は3度わたしを知らないと言うだろう」と言われた ことを思い出してしまったのです。そして、彼は、中庭から外へ逃れ出て激しく泣いたのでした(聖マタイの福音書)。

ここでちょっと、私たち自身のことを考えてみましょう。私たちは普段、自分は他人を裏切らないで生きたいと願っており、また、他人に裏切られないで生きたいと願って、生きております。どちらもとても辛いものであることを知っているからです。でも、自分が人から裏切られるよりは、自分が他人を裏切る場合の方が、ずっと自分の心にトゲが残るのではないでしょうか。それは、単なる良心の呵責という以上に、自分の人格を自分でも信頼できない、ということなのではないでしょうか。自分で自分を信頼することが出来ないなら、他人も自分を信頼しずらくなり、結果として他人とのコミュニケーションは難しくなることでしょう。そのままでは、人に何かを伝えることは難しくなると考えられます。

話を元に戻します。ペテロは、最後の晩餐の直ぐ後、大祭司の公邸の中庭で自身の身に危険が及ぶと、先生であり救い主であると信じ全てを捧げて従って来たこの方を、3度も否定してしまいました。

ですから今、復活された主が現れてくださった時でも、あるいはパンを割いて「私だ」と言われた時も、心の隅にあったそのトゲ、すなわち、主を裏切ってしまったという自己不信は、なかなか抜き去ることが難しかったと想像出来ます。これは推測ですが、十分可能な推測です。

この様に考えてきますと、主イエスがわざわざ3度も質問をし、彼に3度も答えを求める作業をされたことの意味が分かって参ります。それは、きっとそのことによって、彼の心のトゲを一本づつ抜き、彼に「キリストの羊を飼う」という使徒としての確信と使命をしっかり整えるためであった、と考えられるのです。こうして主は、ペテロに対して、使徒としての確信に立つことを求め、3度も答えさせることによって、彼の使徒の資格を更新されたのであります。

主はこの様に、ペテロに「キリストの羊を飼い、世話をする」という使徒の本来の務めを与えて確信させ、使徒の資格を更新し、さらに「 あなたは、私に従え 」と殉教の道を示されたのでした。

「はっきり言っておく。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」

ここに言われた「両手を伸ばす」とは、両手を伸ばして十字架に付けられるという意味であり、殉教の死の予告でした。

こうして主は、他の使徒たちにも、使徒の本務が、羊を飼い、世話をすることにあることを、教えられました。甦られた主イエスに既に出合っていても、「わたしは漁に行く、」と言い、他の弟子たちも「私たちも一緒に行こう、」と言っていた彼らは、こうして、心をしっかりと定められ、主の復活の証人として生涯を送るようになったのであります。

あのペテロにとってさえ、3度の裏切りは避けられないものでした。このペテロが、私たちの良い模範です。

私たちは、3度どころか、4度も5度も、6度も7度も、数え切れないほど主を拒み、裏切ってしまいます。しかしその私たちを、主は、何度も何度も救いあげて、主が望まれる本来の私たちに造り変えてくださるのであります。どんなに弱く、何の取り柄のない自分だと思っている私たちをも、主は、ちゃんと、神の子、主の証人としてくださるお方であります。

教会の務めは、周りにいる人達が、たとえたった一人であっても、二、三人であっても、十人であっても五十人、百人であっても、神が愛しておられるこの人々を養い、世話をすることであります。そしてその結果、人々に洗礼の恵みに与って頂き、共に神の栄光を讃えるということであります。それが教会の務めであります。主は、今も、私たち一人一人に力を与えておられます。

私たちは、今までと同じように聖なる公会を信じ、聖職も信徒も、聖ペテロに与えられた使命をしっかりと認識し、誇りをもって毎日を生活し、伝道してゆかなければならないのではないでしょうか。復活された主イエスは、今も生きて私たちの傍におられるお方であります。  アーメン


2013・5・9  主の御昇天の日に

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主にある兄弟姉妹の皆さま
Dear sisters and brothers in Christ

主教 ラファエル梶原史朗

ウェブサイトを通して、改めてごあいさつ申し上げます。

日本キリスト聖公会は、聖パウロの言うように、神の御前には、男性も女性も等しく救いの道に招かれている尊い存在であることを信じております。しかし、叙任された奉仕職については、女性司祭、女性主教、また同性愛の人の聖職按手ということは、2000年来の教会の伝統と教理を尊ぶ故に、承認することは決してあってはならないと考えております。このことは、世界の教会の悩みですが、これが、日本キリスト聖公会の存立の所以でもあります。

そのことのゆえに、前教皇ベネディクト16世の教会憲章Anglicanorum coetibusによって開かれた属人区への道を求めて参りましたが、私たちが余りにも小さな集まりであることのゆえにでしょうか、日本では、実現不可能という実情になりました。 これまでのカトリック教会の関係の方々には、心から感謝の念を禁じ得ません。でも私は、なお、神の導きを祈っております。

さて、今は一騒ぎが終わった感じで、皆さんも初めは、心荒れしたり夫々にいろいろと思い乱れるところがあったことでしょうが、今はきっと、覚悟を決め、心は澄んだ思いに満たされておられることでしょう。 今まで私のところへ、意見を寄せてくださった兄弟姉妹に感謝しております。ご連絡の無かった兄弟姉妹方の思いも常に私どもと一緒にあったことと思っております。 

私たちは、この2月の横浜集会で、たまたま、「江戸時代におけるキリシタンの殉教遺跡を東京に訪ねて」という題で、スタットラー氏(カトリック信徒、東洋大付属中・高教師)から学ぶことが出来ました。今思えば、それは決して偶然ではなく、神からの今の私どもへの贈り物であったと思われます。

最近、或る婦人信徒から、「私の家の台所は東向きに窓がありますが隣のビルのため冬は何時も暗いのです。でも春になって陽が高くなると、朝も少し光が入り、心も明るくなります。これが一年中明るければ、決してその有難さも分からないでしょう。日本キリスト聖公会という小さな集まりも、忘れ去られ、消えて行くかも知れませんが、最近手に入れた或るCD曲、「神だけが知っている」の歌詞を見て、「神だけは知っておられる 」 というそのことに、まことに深い慰めを受けています。お祈りしております。どうぞ私たちのためにもお祈りください。」と、お便りを頂きました。

上述の講演の翻訳者田中兄は、そのプリントを或る未信徒の知人に渡したところ、その女性は、「はじめは、傷めつけられ死んでゆく人々に悲しい思いを抱いていたが、だんだん、彼らが喜びの内に最期を迎えて行く有様に、心を打たれるよう思いになり、なにか明るい気持ちになった」 と感想を寄せられたそうです。また、スタットラー兄も、同僚の教師にプリントを渡して読んでもらったところ、大きく感銘を受けたという反応が返ってきた、あるいは、一歩キリスト教に進んで頂けるかもしれないと思う、ということでした。

また、秀吉の時代に、京都から長崎まで見せしめの行列をし、そこで十字架刑に処せられた26聖人の中には、元々信者でもなく、ただただ敬愛する御主人に同行した下男もいました。道中、主人の信仰による喜びの姿に感化されて信仰を抱き、そして主人と共に殉教しました。また、道中、見物のために集まった民衆は、彼らが、賛美を歌い、説教をしながら、殉教の喜びに満たされている様子を見て、キリシタン達に敬愛の心を抱いたことが、宣教師によって記録されています。それは、見せしめ以上に伝道の行列となりました。

私たちも、キリシタンたちの喜びに満ちた殉教の死に倣い、たとえ今苦境にあっても、キリストの御苦しみと十字架の功を通して、その御復活の栄光ある喜びを主から戴きつつ、今までと変わることなく大らかに、日本キリスト聖公会として祈りつつ、更に新しい一歩を踏み出して行こうではありませんか。

昇天日に当たり、皆さまお一人びとりの上に主の御恵みがありますように。



The Day of the Ascension, May 9, 2013

Dear Brothers and Sisters in Christ

Bp. Raphael S. Kajiwara

I greet you again by means of our website. The Nippon Kirisuto Seikokai (NKSKK) believes with St. Paul that both men and women are equal before God, and are precious beings called into the way of salvation. Nevertheless, in regard to the ordained ministry, due to 2000 years of Church tradition and teaching, our thinking is that there must be absolutely no recognition of the supposed ordination of female priests, female bishops, or homosexuals. These matters have caused trouble in churches around the world, but to the NKSKK they are our very raison d`etre.

For this reason, we have sought to pursue the path toward a personal ordinariate cleared by the Apostolic Constitution Anglicanorum coetibus promulgated by former Pope Benedict XVI. However, perhaps due to the fact that we are such a small group, as far as Japan is concerned, it is now clear that the realization of this dream is impossible. I am forever grateful to our associates in the Catholic Church, but I must continue to pray for God's guidance for us.

Well, now that the commotion is over, I am sure that all of you, though at first troubled in heart and confused in mind, have now decided to prepare yourselves for the future and find that your minds are thinking clearly. I am grateful to all of you who have submitted your opinions to me. I am sure that even the thoughts of our brothers and sisters who have not contacted me were with us all along.

At the gathering in Yokohama in February, it happened that we were able to learn from Russ Stutler (Catholic layman; teacher at Junior & Senior High Schools associated with Toyo University) on the subject "Visiting the Sites of Edo-era Christians in Tokyo". Now that I think of it, that was not just a coincidence, but a gift from God to us for such a time as this.

Recently, I have received the following note from a laywoman. She writes, "There is a window in my kitchen that faces east, but because of the building next door, it is always dark in the winter. But, in the spring when the sun is high, sunlight comes in the window in the morning and cheers me up. If the sun shone brightly year round, I am sure that I would not appreciate it so much. The NKSKK, a small group of people may fade away and be forgotten, but recently, I purchased a CD and read the lyrics to one of the songs called 'Only God Knows' and was truly comforted by the words 'only God knows'. I am praying for you. Please pray for us, too."

Mr. Tanaka, the translator for the lecture that I mentioned above heard the following thought from one of his non Christian acquaintances when he gave her a print-out. The woman said, "At first, I had sad feelings for the people who died from their wounds, but gradually, I was struck by the way that they faced their last moments with joy, and I began to lighten up." Mr. Stutler also had a response from a fellow teacher who was greatly impressed when he gave her a print-out to read, and thought that maybe that teacher would take a step toward Christianity.

During Hideyoshi's time, among the 26 saints who were marched from Kyoto to Nagasaki and then crucified, there was a servant who, though he was not originally a Christian, simply revered his master and accompanied him. On the way, the servant was influenced by the manner in which his master found joy in his faith, so he believed also, and was martyred with his master.

Missionaries record how the people along the route to Nagasaki came out to see what was happening and had reverence in their hearts for the Christians as they saw how they sang hymns and preached, and were filled with the joy of martyrdom. That became more a march of evangelism than one of warning.

Now as always, let us also step forward boldly as the NKSKK, imitating the joyful deaths of the Christian martyrs, and even though we are in a predicament, through the merits of the sufferings of Christ on the cross, let us also receive from Him the glorious joy of his resurrection. On this day of the Ascension, may the grace of God be with each one of you.

Translated by Lawrence B. Wheeler


エルサレムの春
Spring of Jerusalem

新緑の春、若葉香る春よ。
彼は一人で、この季節に、死の墓から復活された。
思えば、わたしたちの罪を、一人で負うて十字架に懸りたもうた。

どのような仕方で、世の罪を、その身をもって買い取られたかは誰も知らない。
誰も見た者は無く誰も知らないうちに、かれはこの季節に、ひとり墓から復活された。ただ私たちを愛されるがゆえに。

だからこの季節に、わたしたちは、かれの復活を祝う。大きな喜びをもって祝う。かれは、世のすくいぬしである。
最早、わが身の罪ある姿は、後方に退いている。

この喜びは、一点の曇りもない完全なもの、愁いも無く、疵も無い、深い喜び。
この喜びを祝おう。あのエルサレムを想いながら。

新緑の春、若葉香る春は、幸せ者だ。             


教皇ベネディクト16世の引退に思う

Thoughts on Benedict 16th's Resignation

補佐主教ラファエル梶原史朗

たしか、この2月11日であったか教皇ベネディクト16世が、高齢と衰えのゆえに引退を表明されたとのニュースを読みました。その後の13日、「一般謁見」で集まった数千人の信徒たちが熱烈に迎える中、それに応え、「ご存知のように退位を決めました。力が無くなり、職務を続けて行くことが難しいと自覚しました。」「私を支えてくださった、すべての人々の愛と祈りに感謝する」と述べられたということである。朝日新聞に出たお写真は、いかにも重荷を負われた方であるかのような様子でした。しかし、それはありのままの自然のお姿なのでしょう。

この教皇様は、前ヨハネ・パウロ2世教皇の葬儀に司式をし、説教をなさった方で、その当時の枢機卿のお一人でした。その時のTVヴィデオをすぐ、アメリカ在住の一信徒の人が送って下さったので、私もその様子がとても良く分かり、感銘深く、今でも忘れることが出来ません。優しい静かな語り口で、前教皇がいかに個人として、いつも聖母マリア様への信心に支えられておられたかをとつとつと語られ、天に召された教皇様への敬意と聖なる信頼の情が滲み出たものでした。わたしは、この方が次の教皇様に選ばれると良いなと思っていたことを思い出します。

皆様の御承知のように、そのヨハネ・パウロ2世は、登位後すぐ青年にピストルで撃たれたり、その傷がいやされた後、その青年を訪ねて赦しを告げたり、英国聖公会を訪ね、カンタベリー大主教とともに祈ったり、アイルランドを訪ねダブリン近郊の丘の上で、テロリストとなった青年たちに、「わが子たちよ、銃を捨てて、神のもとに帰ってくれ」と呼びかけて祈ったり、エルサレムやイスタンブール、南米そしてこの日本を訪ねたり、「空飛ぶ教皇」とあだ名された方でした。その葬儀の場には、世界中から十数万の信徒がピエトロ広場に集まりました。何とも大勢の青年たちが仲間と共に涙を流しながら祈っていたのを見て、私はその臨場感に打たれ、教皇の生涯を賭けた証しの故に、深く感動しました。

今回、退位されるベネディクト16世については、私の知る限りでしかありませんが、上に述べた印象が全てです。おそらく、行き過ぎた人権至上主義がはびこるこの現代にあって、その教皇職を全うされるには、並々ならぬご苦労がお有りだったことと思われます。その事績については、追々私たちにも知らされることでしょう。

ただ、一つ私たちに直接関わることとしては、2010年に、教会憲章『アングリカノールム・チェティブス(聖公会の人たち(仮の訳))』を発布なさったことがあります。これは、教会史上の大きな新しい一歩であった、と私には思われます。2008年の秋、聖公会の中の、《女性を司祭職に任ずることは、使徒の教えに反し、その様に改変する権威を主は教会に与えてはおられない》と信ずる私たち少数の聖公会主教たちが、世界から英国ポーツマスに集まり、聖公会の信仰と礼拝を保ったままローマ司教座とのコンミュニオンが許される道を開いて頂きたい、という請願をしました。

教皇は、2年ほど時間をかけて教皇庁内で十分に検討された上で、上述の使徒憲章をお出しになったのです。これは、よくまあお出しくださった、という感激的なお招きでした。

教皇は、カンタベリー大主教に了解を求められ、大主教は、信徒を争奪しないようにと申入れられ、紳士的に事が運びました。全ては、本当の教会一致の幻の実現への具体的な一つの道、私流に言えば、いわば『冒険』であると言ってよいかと思います。初代教会以来、福音伝道は、まさに神の冒険でありました。

そして御承知のように、先ず、2011年に、イギリスで「属人区 ウオルシンガムの聖母マリア」、昨年初めにアメリカで、「属人区 聖ペテロの椅子」、6月にオーストラリアに「属人区 南十字星の聖母」が設立されたのでした。属人区には、大きく深い使命が与えられています。日本の少人数の私たちは、親を失った子供たちのようで、現状では、先のことは分っていません。しかし、すべては御手の中にあることと信じ、このような道が備えられて進んでいることに、心から感謝を献げております。

さて最後に、そのような道を開かれたベネディクト16世のことに戻りましょう。

教皇様は、政治家であるよりは、上にも触れましたが静かな優しい神学者であり、おそらく一人のドイツ人として、戦争中のドイツとヨーロッパの歴史に思いを深くして来られた方ではなかったかと考えております。その優しさと学問は、きっとそこからのものではなかったかと、私には想像することが出来ます。日本の私のような年代のものが、中国や韓国・北朝鮮、その他南の国の人々のことを、心から離すことが出来ないように・・・。

教皇職は天に召されるまで在位なさる、という事が長い伝統だったようですが、あまりお丈夫とはお見受けしないままに、力が無くなったと仰言って、85歳というご高齢まで、その職務を全うされたことに、心からの敬意と感謝をお捧げし、退位後もなお神様と教会のために祈り、お尽くし頂きたいと心から願うものであります。

8年前、ヨハネ・パウロ2世は、クリスマスの一般謁見に、病気をおしてお立ち台に立ちメッセージをなさろうとされましたが、口を開いたままどうしてもお声が出ない惨めなお姿が写真に撮られ、世界に報じられました。しかし、その教皇のお姿に群衆は一斉に「ビバ、パパ」と叫びました。その後少しして、天に召されました。

ベネディクト16世も、今弱りはて、13日の一般謁見で、その重い御決心を告げられた時、群衆は「ありがとう」、「ビバ、パパ」と叫んだと報じられております。

私の知り得た、このお二人の「神の僕の僕}」のゆえに、主のみ名をほめたたえたいと思います。

(2013・2・18)


降誕日説教  Christmas Sermon

御子は、わたしたちの心に来られる      
神を愛し、人を愛する者になりましょう     2012年Raphael

イザヤは言った
「・・・見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ 。
災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで
彼は凝乳と蜂蜜を食べ物とする。・・・ 」   (7:14)

聖マタイの福音書にも引用されているこのイザヤの預言は、救い主・御子イエス・キリストの降誕を祝う教会の礼拝では、必ず読まれる大切な預言でした。

しかし、預言者イザヤの活躍した紀元前8世紀以来、ずーっと続いた預言者運動の中では、この預言は、大海に落ちた一滴の雨水のようなもので、決して主流の預言とは言えないものでした。

先ず、イザヤについてお話しましょう。

ユダのウジヤ王の死んだ年、すなわち紀元前742年、今から2850年ほど前に、イザヤは、神から召命(召し出し)を受けました。この年代は、はっきり特定されています。その時イザヤは、神殿の中で神の臨在に出会い、天使セラフィムが 「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」と唱え、呼び交わしているのを聞きました。その声で、神殿の入り口の敷居が揺れ動き、神殿は煙に満たされたと伝えています。その様な神の臨在を経験したイザヤは叫びます、「ああ、私は災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇のもの。汚れた唇の民の中に住む者。それなのにこの目で聖なる万軍の神を見てしまったのだから、」と。こうしてイザヤは、罪ある者が神を直接見るなら必ず死ななければならない、決して生きながらえることは出来ない、神はそれほど聖なる御方であるというメッセージを受けました。言い換えれば、神が、預言者イザヤを通して、御自身が「聖なる方}であることを示されたのでした。「聖」という言葉は、神とこの世には、超えることのできない断絶があるということを意味する言葉です。この世を超越した神だけがお持ちになっている「ご性質」、すなわち神は、「無比で高く清い」御方であるということを、深い意味で初めて人々に顕わされたのでした。

さて、「私は災いだ」というイザヤの告白を聞いて、神はセラフィムを遣わし、火をもってイザヤの唇を清め、「あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」と宣告されました。燃える火によって罪は焼かれてしまったという意味です。そして、彼に使命を与えられました。これがイザヤの召命でした。彼に与えられた使命は、創造者なる神を捨て、御言葉に背き道徳的な悪を行う者、不正義と不公平な者、富める者、異教神礼拝を続け、表面的な犠牲奉献を為し続けるユダ、エルサレム、そして更に北イスラエルに対して、神の審判を宣言せよというものでした。しかも、その罪から一刻も早く立ち帰り悔い改めよ、というものでした。

イザヤによる「神は、御自分の民を審判される」というメッセージは、ウジヤを継いだヨタム、アハジヤ、及びその子ヒゼキヤ王の時代までおよそ30数年に亘って発し続けられたのでした。しかしイザヤの預言には、微かながらもう一つの響きがあったのです。それは、神の審判は全面的で容赦はないが、しかしその審判には、微かながらなお希望があるというメッセージでした。この様に、神の審判にもかかわらず、そこに希望も残る、というのがイザヤの特徴的な預言であったのです。

このような希望の預言は、彼の後に続く第2イザヤ、第3イザヤという二人の預言者を通してだんだん大きくなって行きました。そして、その神の審判を免れる少数の「残れる人々」がある、とか、神御自身が王となられるとか、イスラエルよ、あなたはわたしの僕である、僕は民の罪のために苦しみ、人々の病を負う、というようなメッセージとなり、神が救い主を遣わされるというメシア出現の希望になって行ったのでした。そして、このようにメシアが大いなる力をもって来られるという預言は、だんだん強く大きくなって行く中で、神の救いは「処女から男の子が生まれる」という小さな「しるし」によって与えられるという預言は、副次的なものとして、だんだん霞んで行ってしまいました。

こうして、イエス様の誕生という出来事が起こる直前の頃の多くの人々の思いは、確かに神は天地の創造主であり聖なる方である、神の前には結局罪ある者は滅びなければならない、でも、その審きは果たしてあるのであろうか、何時その審判は有るのだろう、神を信じていたのにエルサレムはアッシリアに滅ぼされ、さらにまた神の民ユダはバビロニアに滅ぼされたしまった、何時メシアは来られるのだろう、神に仕えても、無意味ではないか、つまらないではないか、という迷いが、社会にだんだん充満して行きました。

それは丁度、現代の私たちとよく似ているのではないでしょうか。

その様な時に、マリアへのみ告げがあり、時が満ちて、御子の降誕の出来事が起こったのです。

見よ、おとめが身ごもって男の子を産む、その名はインマヌエルと呼ばれる、という、今まで霞んでしまっていたこの預言は、ある意味で全く突然に、暗闇の中に差し込む可細い一筋の光のような出来事として惹き起されたのです。それがクリスマスの出来事でした。神の御子は、王宮にではなく、世界中のどこかほかの場所でもない、ユダヤのベツレヘムという一寒村の、貧しい家畜小屋の中に、人知れずお生まれになりました。それは、暗闇の中に輝く世の光であり、すべての人が救われるための神からの贈り物だったのです。

以上の歴史から私たちが学びうることは、次のことではないかと思います。

神の救いのメッセージは、イザヤよって少し現わされたのち、主流から外れて霞んで人々の目には見えなくなったように見えたけれども、遂にはおとめマリアの信仰を通して実現するところとなった、救いの預言の実現には、それなりに長い長い苦悩と待ち望みの時を経験しなければならなかった、ということであります。

今の私たちに引き寄せて考えますと、神の救いは、安易にやすやすと私たちの思いのままに来るものではないということです。或る場合、何時それが来るか全く分からないような時でも、神の御手に希望を置き、全てを御手にお委ねして待ち続けなければならないということ、それはわたしたちの思う通りの姿では来ないかも知れないけれど、私たちの思いを越えた姿で必ず来るものであるということ、各人に与えられた日々の務めと信仰の喜びの中で待ちなさいということであろう、と思うのであります。

2000年前に、御子はこの世に降誕され、救いのみ業を完成されました。本年、この降誕日に当たり、御子は、私たちの心の中に来られます。

私たちは、夫々にまことに至らない者ですが、聖書を通し、また聖餐を通して、一人一人自分の心の中に、闇夜を貫いて光として来られる主キリストを、心一杯にお迎え致しましょう。

そして、神を愛する者、人を愛する者となりましょう。

クリスマスおめでとうございます。   

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。(ヨハネ3)


クリスマスへの心の準備
Advent Message

降臨節に入りました。

今年のクリスマスは、どのように迎えますか。クリスマスは2000年前に、地球上の特定のユダヤという処に、神が、御子なる神をお遣わしになったことを記念する日です。

記念するとは、歴史的に過去の出来事を「あーそうだったのか」と思い出すことではありません。そのような心の作業も含まれていますが、むしろ、処女マリアからの降誕がどうこうと論ずる前に、先ず神を信じることから始まります。次に、救い主といわれるキリストが十字架にかけられて死なれたことを信じることへと続きます。

そして、このキリストが何を言われ、何をなさったかについて聖書(福音書)を読み、

キリストの御人格に深く触れ、そのキリストを自分に身近な救い主であると信じることが必要です。こうして先ず、父なる神が御子を救い主としてこの世に遣わしてくださったという大きな流れに目をとめ、そのような神のみ業を、この世界に実際に起こった真理として、心の中に受け止めるということが出発点です。

其処で初めて、このキリストは一体どのようにしてこの世に来られたかを問い得ることになります。どんな物理的手続きでこの世に来られたかではなく、神のどんな意図によってこの世に来られたかを問い、理解して行くことになります。

この順序は、2000年前に、キリストの弟子たちが信仰に至ったと同じ経過であり、今の私たちにも求められる信仰の道です。その時、処女マリアから生まれられた出来事の意味と重要性も自然と理解されて来ます。

つまり、神のみ業を信じて受けるということです。聖アンセルムスが言ったように、「私は、本当の理解に達するために、先ず、信じます」という人格的な態度が大切なのです。

それは、「無理なこと」ではありません。反理性的なことでもありません。

私たちは、目と理性で確かめなくても、親を信じ、友を信じ、妻子を信じているではありませんか。或る歴史的人物や先生を、信じているではありませんか。人格性にかかわることは皆、信じることから入ります。信じるということを抜きにしては、私たちは生きてはいないのです。人を理解出来ないというのは、とどのつまり人を信じていないからです。不信は、日常いつも私たちを襲いますが、聖書は、実はそれを「私たちが罪人(つみびと)」だからなのだ」と言っています。

キリストの降誕を信じるということは、その出来事の物理的手続きを取り上げて議論し、信じることではなく、2000年前にキリストという方が地上に来られて、今も私たち一人一人の心に住ん下さり、わたし達を光で照らし、導いていてくださること、また、世界を正義と公平へ導いていてくださるという神の救済の業を信じる事なのです。どんなに困難、苦しみ、無希望の状況が続いても、この世に来られた救い主キリスト様だけは、私を愛し、私の友であり、私に道を整えてくださるお方であると信じ、喜び、感謝すること、それが、本当の、クリスマスを迎える心(霊魂)の準備なのです。

キリストこそ、この世への神からの究極の贈り物なのです。

今日、貴方がたは私たちを救うために主が来られるのを知り
暁に 主の栄光をみるでしょう
キリストよ、わたしの心の中に来てください

(RSK)


オーストラリアに 第3の属人教区が設立
 -- 今後の日本キリスト聖公会 --


2012年7月10日

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補佐主教 ラファエル梶原史朗 


photo taken 2012/10/14

本年6月15日、オーストラリアに、「南十字星の聖母の属人教区」が設立されました。教会憲章 アングリカノールム・チェティブス(私訳・聖公会員たちの群れ) に従って、英国、米国に続く、3つ目の属人教区(Personal Ordinariate)であり、「南十字星の聖母属人教区」と名付けられました。

教区長(Ordinary)は、英国出身の聖公会司祭でオーストラリア聖公会に移り、その後, TACの西教区主教となり、今回、カトリック司祭按手を受けて、教区長(Ordinary)として指名されたエントウイッスル神父です。

そもそも世界で、聖公会の一部の人々が、ことに著しくは1970年代からですが、人権主義、女権主義の風潮に押し流されて、女性への司祭按手、同性愛者の聖職按手という使徒たちからの伝統に反する慣行を、聖公会に取り入れることを主張し始めました。他方、それを容認出来ないと考えた人々は、聖公会の中に営々と受け継がれて来た使徒的伝統を守ろうとして来ました。一方は、人間理性の認識から出発して教会の伝統を変えて行こうとする立場であり、他方は、使徒的伝統をそのように変更する権威は教会には与えられていない、とする立場でした。

TAC (Traditional Anglican Communion)とは、この後者の保守的あるいは正統的信仰を守ろうとする人々がアメリカのセント・ルイスに集まって出来た群れであり、1977年以降、それが次第に世界的な共同体となって行ったものでした。しかし彼らは少数派でした。他方、女性司祭というこの新しい慣行を取り入れ始めた多数派の(カンタベリー主教座を霊的中心に持つ)公式の世界聖公会は、この少数派の人々を(逆に)教会の外へ出た非正統派であるとして、次第に排除するようになりました。

そして、遂に英国聖公会も本年、女性主教を実現する手続きが完了しようとし、日本聖公会もこの新しい人間主義の慣行を自ら正しいとするようになって来て、今日に至っております。世界の聖公会は、この間、様々な分裂のような状態になり大変苦しみました。しかしその責任を、誰も他人に問うことは難しいのです。聖公会全体が、そのような過ちを無反省に取り入れてしまったからです。

思い返せば、私たち日本キリスト聖公会(NKSKK)は、ちょうど10年前、2002年3月11日に、当時のTAC首座主教ルイス・フォーク大主教(アメリカ ミズーリ渓谷教区大主教)によって、TAC固有のメンバー教会(日本管区)として横浜で、二人の聖公会司祭の請願に応えて設立されました。これは小さくても矢張り、三位一体の神の名によって立てられた教会でした。その時の説教者であったオーストラリアのヘップワース大主教は、「誰でも、自らを正しいとし、他を罪人と断罪する教会はキリストの教会ではない。」と説教されました。当時、私は横浜教区主教として臨席していました。そして、そののち、私は、TACの主教団に受け入れられ、この教会の補佐主教とされました。

そのような流れの中で、TACは、聖公会の礼拝と伝統を正しく保ったままで、許されるならローマの司教座との交わりに入る道を開いて欲しいと、教皇ベネディクト16世に願い出ました。教皇は、それを受けて、上に述べた教会憲章「聖公会員の群れ」を出されたのです。それには2年の祈りの歳月が必要でした。

かつて、ラムゼイ大主教と教皇パウロ6世との間で、キリストの願い祈られた、信仰者の「目に見える一致」visible unity を目指して対話を進めようという画期的な合意がなされ、両教会の間のARCICという国際委員会による対話が始まりました。当時、ラムゼイ大主教は、「この一致は、一方が他方を吸収するようなことではなく、互いの受け継いでいる公会としての遺産を捧げ合っての一致である」と言われました。そしてこの対話は、大きな成果を積み上げて参りましたが、実は、私たち聖公会側の、女性司祭容認という踏み出しによって、その幻への歩みは途絶えてしまったのでした。

それ故に、この度の教会憲章は、形は変わってもこの幻に向かって、可能な限り一つの新しい具体的な提示・応答であったと私たちは考えております。

これについて、ある聖公会の批評家たちは、「これは、聖公会という名の池(Anglican pond)で金を掛けずに釣りをするようなものだ」と皮肉を言いました。人は、自分の物差しでしか測れないものでありましょう。とにかくこの新しい試みは、真に神のみ心に叶うものとなるように、一層の祈りが求められる性質のものであります。

人間の思いはいろいろと際限がありません。この属人教区という道が開かれると、TACの中に、その趣旨を新しい期待を持って受け入れようとする人々と、これは単なる、「吸収」であるとしてこれを潔くしない人々とに分かれました。TACは互いにどちらをも非難することはしませんでした。ある人々は属人教区への道を進み、或る人々はTACに残ろうとしました。後者を、今のところ、「新しいTAC」と呼ぶことが良いと私は考えております。

日本キリスト聖公会は、この新しいTACには入らず、御心であるならば、属人教区への道を進みたいと願っています。

私たち日本キリスト聖公会は、世界の聖公会のため、カトリック教会のため、3つの属人教区のため、また、新しいTACのため、祈り続けて参ります。

そしてさらに、大げさに聞こえるかもしれませんが、この大災害に遭遇した日本に、また武力による抗争止まぬこの世界に、真に福音を宣教し、証してゆきたいと願っています。

註 教区は、地域に広がる教会の単位共同体ですが、属人教区とは、そのような本来の教区ではなく、教皇から特別に任命された一人の教区長(主教ではない)の下に集う教区のような教会共同体のことです。新発明ではなく、教会の歴史上、知られたものでした。

以上

In Australia, a Third Ordinariate is Created
The Future of the Nippon Kirisuto Seikokai

by Suffragan Bishop Raphael S. Kajiwara

On June 15 of this year, the Personal Ordinariate of Our Lady of the Southern Cross was established. Based on the Apostolic Constitution Anglicanorum coetibus (private translation: flocks of Anglicans) this is the third personal ordinariate to be erected, after those in England and the United States. It has been named the "Personal Ordinariate of Our Lady of the Southern Cross".

The ordinary is Fr. Entwistle, a native of England and an Anglican priest who transferred to the Anglican Church in Australia. He later became the bishop of the Western Diocese of the Anglican Catholic Church in Australia (TAC). Now, he has been ordained a Roman Catholic priest and been appointed the ordinary.

It all started in the 1970s, when some people in the Anglican Church around the world were swept up in the tide of secular humanism and feminism. They started to insist on practices that ran counter to the Tradition of the apostles--things like the ordination of women to the priesthood and the ordination of homosexuals. On the other hand, there were others who could not accept these things and who endeavored to protect the Apostolic Tradition received by the Anglican Church. One party starts off from the things that human reason can recognize and tries to change the Tradition of the Church. The other party takes the stance that the Church has been given no authority to change the Apostolic Tradition in that way.

The Traditional Anglican Communion was a flock formed by people who, striving to defend the conservative or orthodox Faith, first assembled in St. Louis in 1977 and subsequently became a worldwide community.

Nevertheless, they were a minority. On the other hand, the majority of the official Anglican Communion (those who look to the See of Canterbury as their spiritual center) who introduced the new custom of the ordination of women as priests, considered this minority, on the contrary, to be the unorthodox ones who had left the Church, and they began to remove them.

Further, as the realization of women bishops in the Church of England has almost been accomplished this year, the Nippon Seikokai (Anglican/Episcopal Church in Japan) has determined that the practices of this new humanism to be right. Meanwhile, the Anglican Communion has suffered greatly from the state of various divisions.

However, it is difficult to hold others responsible for this. That is because the whole Anglican Church has introduced these errors without proper reflection. As we look back, the Nippon Kirisuto Seikokai was established as an individual member Church of the TAC (province) exactly ten years ago, on March 11, 2002 in Yokohama by the then primate of the TAC, Abp. Louis Falk (Bishop of the Diocese of the Missouri Valley), in response to the petition of two Anglican priests. Even though it was a small beginning, it was a Church that was raised up in the name of the Triune God. The homilist on that occasion, Abp. Hepworth of Australia preached this: "Any Church that considers itself to be righteous and accuses another to be sinful is no church of Christ's." At the time, I was in attendance as the bishop (ordinary) of the Diocese of Yokohama. Then, later, I was received into the TAC college of bishops and became the suffragan bishop of this Church.

In that way, the TAC, rightly preserving Anglican worship and tradition, made a request to Pope Benedict XVI that, if permissible, he open a way for us to come into communion with the See of Rome. The pope received that request and promulgated the apostolic constitution mentioned above, Anglicanorum coetibus (groups of Anglicans). It took a period of two years of prayer for that to happen.

In years past, there was an earthshaking agreement reached between Archbishop Ramsey and Pope Paul VI to pursue dialog in the search for the visible unity of the faithful for which Christ had prayed. The international committee called ARCIC was started between the two churches. At the time, Abp. Ramsey said, "This unity that we desire is not the absorption of one church by the other, but rather an offering of the heritage that both Churches have received." And, this dialog bore much fruit, but truth be told, it was our side, we Anglicans who put a roadblock in the path toward that dream by stepping out and recognizing the ordination of women to the priesthood. That is why we consider that, even though the movement toward unity has taken a different form, this apostolic constitution demonstrates that the pope has gone as far as he can to respond with a new, concrete offer for the realization of that vision.

In regard to this, certain critics of the Anglican Church have said sarcastically, "This is fishing in the Anglican pond without paying for a license." People measure things with their own yardsticks. Be that as it way, this new experiment is of such character that it requires a greater urgency of prayer that it be done according to the will of God.

There is no limit to what people will think. When the path to the ordinariate was opened, there was a division between those who got the gist of it and received it with expectation, and those who wrote it off as nothing but "absorption". The TAC did not criticize either party. Some people proceeded on the path toward the ordinariate; other people stayed in the TAC. As for now, I am one to think that it is appropriate to call the latter the "New TAC". The Church in Japan (Nippon Kirisuto Seikokai) will not join this New TAC, but rather, if it be God's will, desires to take the path to the ordinariate.

We of the Church in Japan will continue to pray for the Anglican Communion, the Catholic Church, the three ordinariates, and also for the New TAC. Furthermore, this may sound like hyperbole, but we hope to proclaim and witness to the true gospel in this Japan which has had a recent encounter with catastrophe, and to a world where armed conflict never ceases.

Note: A diocese is a single church community spread across a certain region. However, an ordinariate, unlike the original diocese, is a church community gathered under one ordinary (not a bishop) who has been especially appointed by the pope. It is not an innovation, but is known to church history.

End

translated by Fr. Lawrence B. Wheeler






新しい年 2012

New Year 2012


あいさつ  Greetings

昨2011年は、わたしのような者にも大変に辛い一年でした。

世界ではイラン、イラク、アフガニスタン、そしてアラブの春に始まる北アフリカ、エジプト、中近東での戦争・騒乱、EUヨーロッパ連合の金融危機の世界への波及、日本では、労働市場の崩壊、貧困化、大洪水、そして東日本大震災と福島原発大事故、超円高の日本経済の危機など,私たち日本社会も大きな揺さ振りを掛けられた一年でした。高度成長下の夢から立ち直れないままでの政治経済社会の付けもあったとの反省もさせられました。

教会のことを言いますと、昨年の1月15日には、イギリスに「ウオルシンガムの聖母の属人管区(英語でOrdinariateといいます。 以下、煩雑を避けるため管区とのみ記します。)」が設立され、本年1月1日には、アメリカには、「聖ぺトロの椅子の管区」が設立されました。イギリスでは、先ず3人の聖公会主教が条件司祭按手を受け、カトリックとして受け入れられました。キース・ニュートン師は初代の管区長(Ordinary)として指名され、FIFの議長であったジョン・ブロードハースト師、礼拝学に造詣深いアンドリュウ・バーナム師、が並びました。去年1年の間に複数の主教さんや、多くの司祭、執事、修女、信徒たちが参入しました。

アメリカでは、聖ペトロの椅子属人管区の管区長にジェフリー・スティンソン師が指名されました。これから、み御心に従って、参入者が加えられてゆくことでしょう。同師は、ハーバード大学を経てオクスフォード大学で博士号を与えられ、英米両教会で働き、リオグランデ教区主教でしたが、すでにカトリック司祭に改宗していた人と言われています。

この属人管区Ordinariateとは、教区Dioceseに相当するものと考えて良いと思います。

しかし、教区が、教会の主流として、主教の下に神によって作られた土地・地域の広がりを持つ集合的な教会であるのに対して、いわば教会の主流を支えるものとして、土地とは関係なく、指名された教区長(主教ではありません)によって監督される集合的な教会であると言って良いのではないかと思っています。

日本キリスト聖公会は、TACの傘下にあるオーストラリア・アングリカン・キャソリック教会の日本にある支部教会です。わたしたちは、日本聖公会に伝えられた本来の聖公会信仰を大切に擁護して行くとともに、この次のOrdinariateの設立、おそらくこの次はオーストラリアにであろうと思われますが、その設立を経て、ローマの使徒座との交わりに受け入れられることを切に願っている聖公会員達です。日本カトリック教会の皆様、そしてまた日本聖公会の皆様のお祈りを切に求めます。また、同じ志をお持ちの方々とも交わりを深めることが出来たらと心から願っております。

わたしたち日本キリスト聖公会の使命は、いつの日か、母なる教会の中に消えゆくことであろうと思います。その日まで互いに尊敬の念を抱きつつ、地上の諸教会の壁を超えて今既に存在する、唯一の主キリストにある信仰の完徳の道を目指しつつ、招かれてゆきたい、と願っております。

皆様とともに、神の平和を地上にも、と祈りつつ、

日本キリスト聖公会 補佐主教 ラファエル梶原史朗






日本キリスト聖公会のこれから

2011年 主の御母聖マリア日

(Scroll down for English version)

補佐主教 ラファエル梶原史朗 

日本キリスト聖公会は、ごく少数の聖公会信徒の群れである。あつかましく、とても教会と名乗ることは出来ない。しかし、使徒達からの司'職を結果的には否定することとなった今の日本聖公会の中では魂の平安を保つことが叶わず、我々を生み育ててくれた父祖たちからの聖公会信仰を敬い保って行こうと決心した。それは、今は、1主教、4司'、と10数人の信徒たちの群れである。その出発には数年かけた痛みの歴史があった。

したがって、慎ましく年に1,2度の総員礼拝をするほかは、定時の主日礼拝をすることは困難で、夫々の地方の状況の中で今までの教会での聖餐、霊的陪餐、私宅聖餐(家の教会)などの仕方で聖餐に陪かるという姿であった。こういう訳で、今の日本聖公会から信徒を獲得しようと画策したり、人心を乱すようなことは一切望んで来なかった。それはせめてもの仁義であった。そして心で、日本聖公会が何時の日か元の姿に再生してくれることを祈って来た。

実はそのような状況下、2009年11月に、ローマ・カトリック教会のベネディクト16世教皇が、"Anglicanorum coetibus アングリカノールム・チェティブス"という歴史的な教会憲章をお出しになった。我々のような迷える聖公会員からの要望に応えるためであった。その"味は「アングリカンたちの村(集い)」と云う"味である。つまり伝統的信仰の混乱に深く悩む世界の聖公会聖職信徒の群れをローマ教皇座との交わりに受け入れるために、ORDINARIATEを設立するというものである。それは属人管区と訳せばよいのであろうか。聖公会聖職は、カトリック公会問答(カテキズム)の信仰を受け容れ、司'を志願する場合は改めて聖職按手を受けること、信徒の場合は、カテキズムを理解し受け入れること、これによって教皇座との交わりに受け入れられるというのである。

しかし、是は決して、ローマ・カトリック教会に吸収されてしまうことを"味していない。使徒憲章に明らかであり、その解説書、またことにオーストラリアのカトリック担当司教エリオット師父、さらにごく最近ではイギリスのカトリック神父ウッドラッフ師の言葉にあるように、聖公会に伝えられて来た古典的な伝承、神学、霊性の恵みをもってカトリック教会に貢献するということも期"されているという。

ウッドラッフ師は、「普'の教会(それはカトリック教会の内に本質を持つと私は信じているが、)の内には無限のスペースがあることを、今回の「属人管区」は指し示している、」と言われる。この言葉に私は、「わが父の家には住み家多し」と言われた主イエスのみ言葉の響きを聞く思いがした。教会は大きい。さらに、私は、今回のこの事が、聖公会とローマ・カトリック教会の改めての一致、更に全キリスト教徒の一致に向かっての新しい歴史的な一歩を踏み出した(注)ものであると信じている。かつて教皇パウロ6世をローマに公式訪問した当時、ラムゼーカンタベリー大主教が言われたヴィジョンでもある。この視点をより豊かにしてゆくことが、今回の使徒憲章に"図されていると信じている。

それ故に、日本キリスト聖公会と云う小グループは、きっと来年にはオーストラリアに設立されるであろう属人管区の小支部のようなものとして認められることを望むが、もし恵みによってそのようになれば、自らのありのままの姿の自然体を表に現し、名を公に表し、福音を公に証してゆくべきではないかと考えている。そのときには多分それに"さわしい名前が与えられているかも知れない。カトリック教会の中の「聖公会村」が将来どのような姿になってゆくのか、あるいはまた消えてゆくのかは、我々の全く関与しうる処ではない。我々は今はただ、主の公会の広さ、高さ、深さを味わい、その中に召され、教会一致への召しに応えして行くだけであると思っている。

(注)既に今年初頭、最初の属人管区がイギリスで設立された。

What Lies Ahead for the Church in Japan

The Feast of St. Mary, the Mother of Our Lord, 2011

The Rt. Rev. Raphael S. Kajiwara, suffragan bishop

The Church in Japan (Nippon Kirisuto Seikokai) is a very small flock of Anglicans. We make bold even to call it a Church. However, we have decided to honor and maintain the Anglican faith of our fathers, which has born and bred us, even when we have not been able to maintain peace in our hearts in the Anglican/Episcopal Church in Japan (Nippon Seikokai), which has decisively denied the apostolic priesthood. Now, we are a flock of no more than one bishop, four priests and ten laymen. Our origins have been a history of several painful years.

We have restrained ourselves to gathering together only once or twice a year. In addition to that, since it has been difficult for us to hold regular Sunday worship services, we have received communion in local parishes, or received spiritual communion alone, or celebrated the Eucharist in our homes (house churches). We have not laid plans to gain members from the Anglican/Episcopal Church in Japan, nor have we desired to do anything to disturb the heart of anyone. That has been the furthest thing from our minds. And, we have prayed from the bottom of our hearts that the Anglican Church in Japan would, one day, return to its original state.

Under these conditions, in November of 2009, Pope Benedict XVI of the Roman Catholic Church promulgated an historical apostolic constitution called Anglicanorum coetibus. It was given in response to petitions of Anglicans like us. Anglicanorum coetibus means villages (groups) of Anglicans. In other words, it is the establishment of "ordinariates" for Anglican clergy and laity who are deeply pained at the confusion of the traditional Faith. Shall we translate that "personal provinces"? Anglican clergy bound for the ordinariate accept the faith of the Catholic catechism, apply for ordination, and are ordained anew. In the case of the laity, they understand and accept the catechism. This is the way in which we are received into communion with the papacy.

However, that does not in any way mean that we will be absorbed into the Roman Catholic Church. As is clear from the apostolic constitution, its complementary norms, from Australian Catholic Bp. Peter Elliott, and most recently from the words of British Catholic priest, Fr. Mark Woodruff, it is expected that we will contribute to the Catholic Church with the gifts of our classical tradition, theology and spirituality.

Fr. Woodruff says, "I think it's genuinely an attempt to signal that in the universal church, which we believe subsists in the Catholic Church, there is endless space." These words sound to me like the words of our Lord Jesus who said that, "In my Father's house there are many mansions." The Church is big. Furthermore, I believe that this is a step toward reunion between the Anglican Church and the Catholic Church, and also a new and historical step toward the union of all Christians*. I also think that this is the vision that was held by Canterbury Abp. Michael Ramsey when he made an official visit to Pope Paul VI in Rome. I believe that the intent of this current apostolic constitution is to bring this point of view to abundant fruition.

Therefore, it is our hope that the little group that we call the Church in Japan will be recognized as a small branch of the Australian ordinariate, which we assume will be erected sometime next year. If, by God's grace, that is the case, I think it will behoove us to present ourselves openly in our natural state, to publish our name, and to make public witness to the Gospel. At that time, we will probably have been given a suitable name. It is not for us to decide what form the "Anglican village" in the Catholic Church will take in the future, or whether it will just fade away. I think that it is ours only to taste of the width, the height, and the depth of the Lord's Church and, being called into it, simply to respond.

*At the beginning of this year, the first personal ordinariate was erected in England.

Translated by Lawrence B. Wheeler



  

罪人の制御できない心

黙想庵だより
  (Scroll down for English version)

2011年6月、聖霊降臨日前夕

わたしはこの事が正しいと思っている。別の人は別の事が正しいと思っている。みんな自分の考えが正しいと思っている。グループにしても教会にしても、みな自分たちが正しいと思っている。そして一致を求めながら結果的には他者を排除している。これが私たちの今の姿ではないだろうか。

どこに一致の可能性を求めたらよいのか。どうしたら一致が求められるのか。これが問題である。

たまたま復活後第6主日の特祷は、この、自分は正しいと主張する心を、「罪人の制御できない心」と表現している。この訳語は、今は亡き細貝岩夫司祭の提案であった。各自おのが心をふり返ってみるならば、その通りであろう。そして私たちは、その罪ある心を治める方は、あなた、すなわち神しかありませんと告白するのである。

わたしは、聖餐の度に主キリストとの一致を感謝のうちに味わせて頂いている。しかし同時に心のどこかで、他の違う考えの人たちとの一致を叶えられないという悲しみを消すことが出来ない。具体的にいえば、聖公会の中に女性の司祭・主教按手を認めた人々との一致のことである。これが今は、聖公会の主流になってしまい、わたしたちは、と云うか私は、取り残されてしまったように感じている。そして、次のような批判の声も聞いた。

  • 女性司祭を認めない者は愚かな原理主義者である、
  • 全体がそうなって来てしまった以上、もう余り自らの信念には拘らなくてもいいのではないか、むしろ全体の平安と一致を求めるべきである、それが聖公会である、
  • 聖公会(アングリカン)の特徴は、多様性のうちにある一致であることを忘れてはならない。

しかし私にはどうしてもそうは思えない。それらの批判的意見の一つ一つを論破することは極めて易しいが、今となっては上に述べたようにまことに空しいので、それをしようとは思わない。

わたしのこの悲しみは、多分これから一生の間続くことであろう。そのような予測の中で、私はやはり、「多様性の中の一致」は、ある時期以降、世界聖公会には無理になって来ていると考えている。具体的に云えば、1992年に英国教会が女性司祭按手を承認した時からと思っている。もう少し遡れば、1988年のランベス会議でそれを各管区の裁量内にあると承認した時からと云うことになる。多様性というしい言葉はそれ自身美しいが、人間が、もし「多様性」から出発するなら、一致は不可能であると思う。現在の世界聖公会の姿のうちにそれを感ずる。

本来は、「多様性のうちにおける一致」ではなく「キリストから与えられた一致における多様性」であった。神が与えられる一致から出発する多様性は実に豊かで美しいものであろう。それは、カソリシティの中に望み見られるものものだと思う。しかし女性司祭の容認は、キリストが与えられた一致にかかわる問題なのであって、多様性の問題ではない。

カソリシティとは、神から与えられた一致、たとえば英国教会39箇条の第34条に云う「神の言葉(The Word of God)」、 から外れない限りの、心の優しさのことであろう。

そしてカソリシティは、今は、なおカトリック教会のうちには残っているのではないかと思っている。

そして、私は、当時、日本聖公会が「一致」から出発せずしてポピュラリスムから始めてしまった女性司祭按手の容認の責任を自らも認め、これを懺悔し、主に赦しを求める道を辿りたいと思っている。

ラファエル梶原史朗

The Unruly Wills and Affections of Sinful Men

June, 2011 The Vigil of Pentecost

I think that I am right. Another person thinks he is right. Everyone thinks that his way of thinking is right. Whether it is a group or a church, each thinks that he is right. And, as they seek for ways toward unity, they end up excluding everyone else. Isn't that the way we appear to be now?

Where should we seek for the possibility of unity? What can we do to seek unity? This is the issue.

It just so happens that the collect for the Sixth Sunday in Easter expresses this self-righteous claim as the "the unruly hearts of sinful men". This translation was made at the suggestion of the late Fr. Iwao Hosogai. If we all do some heartfelt reflection, we know that it is true. And, we will confess that the only one who can rule over our sinful hearts is "You", in other words, God.

Whenever I celebrate the Eucharist, I am grateful to be able to have a foretaste of the unity in the Lord Christ. However, at the same time, I am not able to erase the sadness of not being able to realize the unity with those who think differently. To be specific, it is the unity with those people in the Anglican Church who recognize the ordination of women as priests and bishops. This has become mainstream in the Anglican Church and we, or shall I say I, feel as though I have been left behind. And, I have heard the following voices of criticism.

  • "Those who don't recognize women priests are foolish fundamentalists."
  • "Since most of the Church has changed, it's better not to make a point of standing by your convictions. Rather, we all ought to seek the peace and unity of the whole.
  • That is the Anglican way." "Let's not forget that the special feature of Anglicanism is unity in diversity."

I just can't agree. It's very easy to defeat these arguments one by one, but at this stage, as I have said above, it is pointless, so I have no intention of doing so.

This sadness of mine will most likely continue to the end of my life. In that estimation, I think that "unity in diversity" has, since certain periods in recent history, become impossible. To be specific, I think it has become impossible since the approval of women priests in the Church of England in 1992. To backtrack a little further, it has become impossible since the the Lambeth Conference of 1988, when the ordination of women was left to the discretion of each province. The word "diversity" sounds pretty, but if man starts from "diversity", then he will never achieve unity. I sense that that is the current state of affairs in the Anglican Church throughout the world.

Originally, it was not "unity in diversity", but rather, "diversity in the unity granted by Christ". The diversity that derives from the unity granted by God is truly beautiful in its abundance. It is a thing that we can hope to find in catholicity. But, the acceptance of women priests is an issue that affects the unity granted by Christ; it is not an issue of diversity.

Catholicity is the kindness of heart that does not stray from the unity granted by God, for example, the Word of God, as expressed in the 34th article of the 39 Articles of Religion of the Church of England.

And, I think that catholicity still remains in the Catholic Church.

The acceptance of women priests by the Nippon Seikokai did not emerge from "unity", but rather started as a populist movement. I admit that I too was, in some part, responsible for allowing it to happen. I repent of it, and seek to stay close to the path of the Lord's forgiveness.

Raphael S. Kajiwara

Translated by Lawrence B. Wheeler


 

このたびの東北関東大震災について 

(Scroll down for English version)

      

補佐主教

2011年3月18日

去る2月11日に、マグニチュード9.0の大地震が起こり、今まで経験したことのない大きな津波が、東北から関東の太平洋側の港、都市、工場、町、村に広範に襲い掛かりました。住宅や建物はひどいところではすべて押し流され、ある町では 数千人が流されて行方不明になりました。本当に大きな犠牲です。

今まで分かっている確認された死者の人数は、15,057人(5月15日現在)、家族から警察に届けがあった行方不明者を合わせて 24,178人になります。

津波を逃れて助かった人たちは。小学校などの大きい建物に開設された避難所に避難しておられます。その人たちは 300,000人を越えました。避難所では灯油とストーヴ、水、食料、毛布、トイレ、薬、医療品 が本当に不足しています。電気が復旧していないので、寒さで亡くなるお年寄り、肺炎や風邪、発熱、低体温症などの病気が増えているそうです。

消防、警察、自衛隊、市職員、医師、看護師などの関係者は、本当に不眠不休で働いておられる様子が、テレビで毎日見られます。困ったことに、道路が壊れているので救援物資が届いていないところがまだ多いのです。

これに加えて、津波によって原子力発電所の電気系統が破壊されるという大変な災害が広く、かつ重くのしかかっています。

政府も民間も全力でこれを国民的試練として受け止め、克服に向けて頑張っている所です。

海外の教会の友人から、祈りと共に、被災者と復興のために、献金をしたいとのメールが四つ届きました。本当に喜ばしいことです。

浄財は、日本キリスト聖公会の名前で、日本赤十字か、然るべき公的団体あてに、まとめて送金することが良いと考えます。皆様は、すでに義捐金を送っておられると思います。今からの場合も、外国からの場合も、会計担当の田中信彦さん宛てにお送りくださるようお願いしています。国内からの場合は、現金封筒とか郵便小為替が適当と思います。

主の恵みが皆様の上に豊かにありますように。

送金先
    

 田中信彦宛
       239ー0802横須賀市馬堀町 3ー3ー3ー201 
       Tel 046-844ー0280             

On the Occasion of the Great Earthquake Disaster in Northeastern Japan

March 18, 2011

From the Suffragan Bishop

On March 11, a great earthquake of magnitude 9.0 occurred, and a large tsunami, the size of which we have never experienced, attacked ports, cities, factories, towns and villages in a wide area on the Pacific coast from Tohoku (northeast) to Kanto (Tokyo). In the worst places, all of the houses and buildings were completely swept away. In one town, several thousand people were washed away and are now counted as lost. This was truly a great sacrifice.

To date, the number of the confirmed dead that we know of is at 15,057 (as of 5/15). When added to the numbers of the lost whose families have reported them to the police, it comes to 24,178 people.

Those who escaped the tsunami and were rescued have taken refuge in large buildings like elementary schools, where evacuation centers have been set up. There are more than 300,000 of these people. There is a real lack of kerosene for heating stoves, water, food, blankets, toilets medicines, and medical supplies. We have heard that electrical power has not returned, so there are increasing numbers of elderly people who have frozen to death, and others who are suffering from pneumonia, colds, fever, and hypothermia.

We watch the reports on the television every day and see how the firemen, policemen, self-defense forces, civil servants, doctors and nurses have been working non-stop. The trouble is that, due to the damage to the roads, relief supplies have not been able to reach many places.

On top of all this, the electrical system at the nuclear power plant was destroyed by the tsunami and the great disaster has broadened and deepened the worries that weigh heavily upon us.

The government and private enterprise have accepted this as a national ordeal and are doing all that they can in their efforts to overcome the difficulties.

We have received four e-mail messages from our friends in churches overseas who, along with their prayers, have expressed their desire to send monetary donations to help the victims and their recovery. This is truly a joyful thing.

I think it best that we gather these donations and send the money to the Japan Red Cross or another public group. I am sure that all of you have already sent in contributions. If you will, please send any future contributions to our treasurer, Mr. Nobuhiko Tanaka. Domestic contributions in Japan can be sent by cash envelope or by postal money order. Contributions from overseas may be made to the bank account listed below.

May the Lord’s abundant blessings be upon you.

Donations from abroad:

[1] Nippon Kirisuto Sei Ko Kai
Bank name : Citibank Japan Ltd.
Bank branch : Internet
Swift- code : CITIJPJT or CITIJPJTXXX
Account type : MultiMoney Account
Account number : 9021 1501
Bank address : Citibank Japan Ltd. Internet branch, Citigroup Center
2-3-14 Higashi-Shinagawa, Shinagawa-ku, Tokyo Japan 140-8639
Holder's name : NOBUHIKO TANAKA
Holder's address : 3-3-3-201 Mabori-chou Yokosuka, Kanagawa Japan 239-0802
US dollar : CITIBANK NEWYORK ABA Number : 0210-0008-9
AU dollar : SWIFT- CODE : CITIAU2X

[2] The JAPANESE RED CROSS SOCIETY
Name of Bank : Sumitomo Mitsui Banking Corporation
Bank Branch : Ginza
SWIFT Code : SMBC JP JT
Payee Name : the Japanese Red Cross Society
Payee address : 1-1-3 Shiba-Daimon , Minati-ku, Tokyo, Japan

Translated by Lawrence B. Wheeler


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教会の歴史と特徴

(Scroll down for English version)

1. 日本キリスト聖公会は、イギリス聖公会の古くからの伝統を現代に引き継ぐ教会です。 使徒時代から受け継いだ聖公会の四つの大切な柱、

  1. 新約・旧約聖書、
  2. 三信経 :(使徒信経・ニケヤ信経・アタナシオ信経)
  3. 洗礼と聖餐、その他のせいてん聖奠(サクラメント)
  4. 主教(エピスコポス)、司'(プレスビュテロス)、執事(ディアコノス)から成る聖職位を継承しています。

したがって現在の世界の聖公会に支配的になってきた、女性をこの司'(主教)の職位に叙任するということは、教会にその決定をする権威は与えられてはおらず、使徒時代以来の信仰と伝承から逸脱することであると判断し、そのことを承認してはおりません。これは、神与のカトリック的信仰の真理を保つことであって、決して、女性差別と混同してはならないことです。男女は、主の教会にあっては、まことのパートナーです。

2. 世界の聖公会の中に、以上のように考え、心を痛めていた人々が沢山いました。世界に先がけてアメリカ聖公会が女性を司'に叙任し始めた時、その人々は、イギリス・カンタベリ主教座を霊的中心にして聖公会信仰を守りたいとして、2000人ほどがアメリカ・セントルイスに集い、協議して「セントルイス宣言」 を出しました。1977年のことです。以来、この人々は、世界に広がるTraditional Anglican Communionとなって行きました。その意味は、イギリス的な聖公会信仰の長い伝統を守り生き抜く教会であると言えます。しかし、その後1992年にイギリス聖公会も女性を司'職に按手することを決議し、1998年には日本聖公会も同調しました。繰り返しますが、これは、使徒継承の信仰と伝統に反することでした。そのような流れの中で、2001年に日本キリスト聖公会は、TACの日本管区として横浜で生まれました。 ですから、まだまだ、本当の幼児期の教会です。でも決して、何か新しい教会を作ったのではなく、正しい信仰を継承し続けるものとしてそこに残った教会です。私たちは、極めて数少ない少数者ですが、父なる神の恵みの下、キリストの福音を正しく今の世に伝え証しして行く使命を与えられています。

現状

2009年11月に、教皇庁とローマ教皇 から、TACや上記のようなアングリカンの遺紹を継ぐ世界の悩める信仰者の群れを、聖公会の信仰や礼拝、霊的信心を持ったまま、一つのまとまりとしてローマの主教座との交わりに受入れるという使徒憲章が出されました。TAC主教会から2年前に送られた請願の手紙への返事でした。当時、私たちはカトリックの新しい「教理問答」を、現時点で公会の信仰をもっとも良く表明している文書として受け入れました。そして、私たちは、祈りのうちにただ黙って返事を待ち、主にお委ねしていました。感謝すべきことに、教皇 は教会一致へ向かって小さいながら歴史的に全く新しい一歩を踏み出されたのでした。

しかし、これは本当に始まったばかりの状況で、まだまだいろいろな事柄を超えて行かなければならないことでしょう。

それまで、私たちは、今までと同じく、普通の日曜日には、家の教会で、また、受け入れてくださる聖公会やカトリック教会で聖餐にあずかったり、私宅で聖餐を献げたり、霊的陪餐をしたりし続けることになります。また、日本各地に散在しているので、年に1回か2回は、横浜の海員会館エスカルを借りて、聖餐を献げ続けています。この聖餐は本当に大きな力であり慰めです。TACの首座主教であり、私たちの監督主教であるジョン・ヘップワース大主教も来られます。

以上のことは、聖公会内の小さな出来事としてではなく、世界の教会全体にかかわる福音宣教の問題としてなお一層お考え頂き、受け止めて頂き、祈りのうちに覚えて頂きたいと願っています。

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The History and Characteristics of the Church

1. The Traditional Anglican Church in Japan is the church that has received the traditions of the Church of England and has carried them forward into the present day. Here are the four key pillars that the Anglican Church has inherited from the time of the apostles:

  • The New and Old Testaments of the Bible
  • The three creeds: (Apostles', Nicene & Athanasian Creeds)
  • Baptism and Eucharist, and the other sacraments
  • Bishops (episcopos), priests (presbyteros), and deacons (diaconos) that comprise the holy orders are held in succession.

It follows that the Church has not been given the authority to make the decision to ordain women to the order of priest (or bishop), even if this is a dominant trend in the world-wide Anglican Communion of the present day. We cannot recognize such a denomination that considers itself emancipated from the Faith and Tradition of the apostolic era. We say this in an effort to maintain the catholic faith and truth granted by God. This is not, by any means, to be confused with discrimination against women. In our Lord's Church, men and women are truly partners.

2. In the recent past, there have been many likeminded people in the worldwide Anglican Communion who have been deeply wounded by their own national churches. When the Episcopal Church in the United States rushed out ahead of the world and started to ordain women to the priesthood, those people hoped to be able to keep the Anglican faith as it was squarely centered on the See of Canterbury in England. Two thousand people met in St. Louis in the U.S.A., deliberated together, and published the Affirmation of St. Louis. The year was 1977.

Since then, these people have formed the Traditional Anglican Communion, which has now spread throughout the world. What this meant to them was that the Church could now say that it was living out its life guarding the Anglican faith of the English Church. However, in 1992 the Church of England itself resolved to ordain women to the priesthood, and in 1998, the Anglican Church in Japan (Nippon Seikokai) agreed to do the same thing. To repeat, this action was contrary to the faith and tradition of the apostolic succession. As events unfolded, the Traditional Anglican Church in Japan (Nippon Kirisuto Seikokai) was born in Yokohama in 2001 as the Japanese province of the Traditional Anglican Communion. We are still very much an infant Church. However, we are not in any way some new sort of denomination, but rather a church that continues in the true faith and will remain there. We are a minority that is very small in number, but by the grace of God the Father, we have been given the mission to rightly preach and bear witness to the gospel of Christ to the present world.

Present Time

In November of 2009, at the Vatican, the pope promulgated an apostolic constitution for the purpose of receiving the wounded flock of faithful people around the world who carry the patrimony of Anglican faith, worship and spirituality as one body intact into communion with the See of Rome This was done in response to a letter of petition sent two years earlier from the TAC college of bishops. At that time, we had received the new Catechism of the Catholic Church as the document that is the best current expression of the Faith of the Church. Committing the matter to the Lord, we simply waited silently in prayer for a response. We are thankful that the pope took a small but historic step in an absolutely new direction toward Church unity.

However, this is something that has just begun and there are many and sundry issues to be overcome.

Until that time, on any given Sunday, some of us will continue to meet in house churches, or in Anglican or Catholic Churches where we are welcome, and there receive the Eucharist. Some others will continue to celebrate the Eucharist in their homes, or to receive spiritual communion. And, since we are spread out across Japan, we will continue once or twice a year to rent a room at the Seamen's Hall Escale and there to celebrate the Eucharist. This Eucharist is really a great strength and comfort to us. Archbishop John Hepworth, the primate of the TAC and our episcopal visitor, also comes when he can.

We hope that you will take these things into consideration, receive them in good faith, and remember them in prayer, not as intramural events for the Anglican Church, but rather as issues that bear on the evangelistic mission of the whole Church throughout the world.

Translated by Lawrence B. Wheeler

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