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司牧のことば • Pastoral Messages
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わたしたちは、神の家族
But we are a family of God

ラファエル梶原史朗


わたしたちが、オーストラリアの南十字星の聖母の属人区の中で、「カンタベリーの聖オーガスチン日本語会衆」という長い名前を頂いて誕生してから3カ月がたちました。まだ本当の生まれたばかりの幼子(えい児)です。これは、まことに恵みに満ちたことでした。

わたしたちは、現在、僅か数人の「会衆」ですが、キリストの体である大きなカトリック教会の中に生みだされた小さなグループであり、それ自身ひとつの共同体をなしている神の家族であることを自覚しましょう。この家族が、これから成長できるのかどうかは、全く神様のみ手の中に委ねられていることで、わたしたち人間の思いによるものでは無いと考えています。

家族というと、子供に乳や食物を与えて生かし、外界から守り、育て、成長させ、成人させ、社会に役立つ人として神様にお返しして行く使命があります。家族の構成員は、人格は違い人さまざまですが、水と血による洗礼という一つの血筋から生まれた兄弟姉妹であり、各人それぞれ懺悔・回心し、それぞれパートナーとして助け合い、理解し合い、互いに教育しあって、その使命の達成に向かって協力、成長して行くものでしょう。そこには、聖霊の交わりの中で、キリストにあって父なる神に祈る祈りと、キリストと共に献げるミサ(聖餐)にあずかり続けることが、まことに不可欠であります。

そして、小さくても、フランシスコ教皇様が《 教会(家族)の内にとどまらず、扉を開いて、 人々の毎日の生活の中へ出て行きなさい 》と言っておられるような姿に、なって行きたいものです。

私のひそかに思うお手本には、次元も桁も違いますが、マザーテレサの修道会とか、古くは、ケルトの修道士たちの姿があります。そこには少数であっても心ある信徒たちが集っていました。大きな普遍の教会のミサに与り、小さな働きに出かけるのです。それが巡礼者の教会なのではないでしょうか。

教会は、わたしたち人間にとって確かにキリストの体であって救いの方舟(はこぶね)であるとともに、また、わたしたちが人々の間へ出て行く前線基地でもあります。

教会、そしてわたしたち信仰者の生活は、開かれたものであることを覚えましょう。

また、聖霊の計り知ることのできないお働きによってのみ成し得る教会一致のために、さらに祈って参りましょう。

(2015・4・23)





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