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司牧のことば • Pastoral Messages
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司牧の言葉 Pastoral Message

教会は、仲良しクラブではない
Church is not like a Club of jolly friends
司祭ラファエル梶原史朗

教会は、仲良しクラブではありません。
しかし、知らないうちにそうなり易いのです。
教会は、聖公会では英国でも日本でも既にその危機に瀕し、そしてカトリック教会でさえいつの間にかそうなってしまう危険はないとは言えません。

このカトリック教会の中に生まれたばかりの小さな聖オーガスチン日本語会衆は、今もこれからも,そうならないことを目指し、祈っていますが、危険は、全く同じです。

教会は、重荷を負う人が集うところです。重荷を背負った人がやって来て、
キリストの犠牲にあずかり、キリストの命にあずかるところです。みな独りであり、一人一人なのです。夫婦であっても、親子であっても。

重荷にあえぐ者がやって来て扉をたたき、キリストの犠牲にあずかり、新しいキリストの命を頂いて生き返り、新しい自分に造り変えられます。
そういう一人一人の人間がキリストの許に集う姿、それが教会であり、聖なる、清められた神の家族なのです。

一人ひとりの孤独な人間がキリストの許に集い、キリストに出会い、自我から解放されて人に優しい心で語りかけ、助け合い、恩義あるキリストとともにキリストのミサを献げる、その姿が教会である、と言えましょう。

教会は、決して仲良しクラブではありません。仲良しクラブは、いつの間にかキリストを見失ってしまいます。そして、結局は、互いを排除して行くことでしょう。

教会は、いつも孤独のうちに重荷を負ってトボトボと、あるいはそれでも健気に、歩いている人びとのために開かれているものであり、その開かれた姿が教会です。そこには人に誇ったり、人を支配したりする営みは影を潜め、人を尊び、人に優しい、仕える心が満ちて来ます。

キリストの教会は、開かれている教会です。そのゆえにキリストに感謝し、キリストをほめたたえ、どんな時にも喜びに満たされて、ともに歩いて行こうではありませんか。                    

「すべて労する者、重荷を負う者よ。われに来たれ。われ、汝らを休ません。」
(マタイ11:28)

(2015・9・30)





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