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司牧のことば • Pastoral Messages
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司牧の言葉 Pastoral Message





私は新しい人になる
Discovering a new self

考えてみるとわたしたちは、多分日々、新しい自分になりたいと望んでいる。

自分自身の弱さ、利己心、いろいろな癖。古い習慣、悪い欲望、怠りなどに縛られてしまう日々だからだ。

自分自身であり続けつつ、同時に何か全く新しい自分らしい自分になりたいと思っている。

それはきっと、昔の人も今の人も、若い人も老齢の人も、男も女も、すべての人がふつうに思うことであろう。しかし自分を本当に新しくすること、自分を本当に満足させることはできない。教育と自己訓錬によって技術的なことはできるかもしれない。しかし自分の深い魂(たましい)の問題としてはそうはなれない。これは難しい問題である。

そういう時、教会は、洗礼を受けて、十字架のキリストを救い主として仰ぎ、キリストの復活の命に与りなさい、と言う。

そうしてわたし自身は、しばしば、夕の礼拝に出て聖歌をともに歌い祈りに加わり、聖餐式(ミサ)に出て説教を聞き、洗礼準備の個人指導(カテキズム講義)を受けに毎週決まった日に教会に通い、洗礼を受けた。当初は聖体拝領よりも説教が身近かだった。やがて 堅信を受け、ミサというものが次第に分かるようになっていった。

しかし、そのような信者としての生活が、当たり前のこととなって来ると、すべてのことが当たり前になってしまう。恐ろしいことに、自分自身に出会うことが無くなり、自分の魂に出会うことも無くなってしまう。つまり信仰者としても漫然と日々を過ごす自分になってしまうのだ。

そのような私たちが、再び新しい自分を発見するには、どういうキッカケがあるだろうか。

わたしが辿りついたところは、教会のミサに本当に与るということだ。私が新しい人、自分になれるのは、ミサに出て、賛美を歌い、祈りをささげ、御体と御血を拝領した時だ。その時再び、キリストは、私の中に入ってきてくださり、わたしたちはキリストにおり、キリストはわたしたちの中におられるということを体験させられるのだ。それ以外に方法は無い。 その時、私たちは、肉体的にも霊的にも新しい人とならせて頂く。自分が古い自分から新しい自分に生まれ変わっているのだ。そして一週間働いて疲れてきたら、ミサの中でキリストに出会うために、走って戻って来ればよい。

私は今、カトリック司祭として本当にこのことを実感している。

もしあなたが、本当に新しい自分になりたいと思うなら、洗礼を受け、キリストのミサに与って欲しい。ミサに与り続けて、怠ってはいけない。そうすればキリストは、たとえ時間がかかっても、確実にあなたを変えてくださる。

ミサの中では、キリストは、福音の一コマ一コマを携えて私たちの中へ入ってきてくださるからだ。

(2017・5・1 RSK )




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